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食文化
芋や豆がおやつの主役だったあの頃。
甘い物をぜいたくに食べることができなかったその時代から、香川に伝わる素朴なスイーツ。
お母さんの愛情を感じる手作りおやつを味わいましょう。
おいり/昔から西讃に伝わるお嫁入りの菓子「おいり」
田んぼのおやつ海辺のおやつ
かつて、農家のおやつはサツマイモでした。「カンコロ」は長く食べられる干イモのこと。やわらかい「ねりもち」は、蒸してつぶしたサツマイモを砂糖水に加え、沸騰させて米粉を入れ、素早くかき混ぜてつくります。煮えたら火から下ろし、丸めてきな粉をまぶしたらできあがり。
海辺では、寒天やところてんになる「てんぐさ」の他にも、「いぎす」という海藻を使って「いぎすとうふ」をつくります。磯で取ったいぎすを夏の天日で干す、水でさらすを繰り返し、白くなると保存しておきます。それを米のとぎ汁や米ぬかを使って煮溶かし、おかずやおやつにします。特にお盆の時期に、もろぶたに冷やし固めて、お客さまをもてなしていたそうです。切り分けて、辛子酢みそや砂糖入りのゴマみそでいただきます。
干芋/あめ色になり白い粉がふけばカンコロのできあがり。
やさしい甘さ
8月末から9月にかけて新生姜が出回ります。それを梅酢漬けや砂糖煮にして保存しました。薄切りにして、砂糖水で煮詰め、仕上げにも砂糖をまぶす「しょうが砂糖」。しょうがをすり下ろし、水あめと砂糖で煮詰めて板状にする「しょうが板」。「たんきり」もしょうがと水あめでつくる飴。どちらも、風邪引きの時に良いといわれてきました。
こんぴらさんの境内では、「五人百姓」と呼ばれる露店があり、「加美代飴(かみよあめ)」という砂糖と水でつくる飴を販売しています。かすかにユズが香る透明で美しいお土産です。
「うずまきもち」は、東讃の引田地方の伝統的なお菓子。ほんのり桃色で節句のお菓子としても伝えられてきました。
仏生山たんきり飴/高松市の徳栄堂さんでは「仏生山たんきり飴」づくりの体験ができます。 電話087-889-5555
五人百姓/傘の下で加美代飴を売る五人百姓
江戸から続く白下糖
讃岐において砂糖づくりの先覚者といわれる向山周慶(さきやましゅうけい)は、寛政2年(1790年)に一町歩(いっちょうぶ)の土地に甘蔗(かんしょ)を植え付け、50斤(きん)の砂糖を製造したと伝わります。その後、サトウキビ畑はどんどん広がり、江戸時代の東讃地方では、砂糖づくりが花形産業でした。ところが、時代の移り変わりで、今ではサトウキビを育てる農家は激減してしまいました。
それでも、手作りにこだわり、白下糖をつくり続けているのは、さぬき市津田町の山田製糖さん。サトウキビの刈り取りから製品仕上げまで、一貫した手作り製法を守り続けています。
一町歩:約3,000坪、約9,900平方メートル 斤:1斤は約600g
写真は、サトウキビを入れて汁を搾り出す作業。
機械を通すとサトウキビの汁が出てきます。併せて搾りカスも出てきます。
もち米と麦で作る甘い水あめ
ぎょうせん飴は、スプーンですくうととろりと糸を引く琥珀色をした水飴です。ほっとするような優しい甘さがあり、昔から、咳が止まり、母乳の出がよくなると伝えられるほど滋養があります。材料は2つだけ。炊いたもち米に、小麦(今は、さぬきの夢2009)の麦芽を粉にして加えると、麦芽の持つ酵素・アミラーゼの働きでもち米が糖化し、甘い飴になります。
300年近く前から、10代もその家の姑から嫁へと製法を伝え続ける飴屋さんが、三木町にあります。現在は、30年の経験を持つ紀子さんが、経験数年の由佳理さんに伝承中です。
地域のもち米や麦を買って、付加価値を付けてまた地元に販売する循環は、長く飴が愛され続けて来た理由のひとつです。持ち込まれたもち米を、加工賃をもらって飴にして戻す、魚をもらって飴をあげるなど、物々交換のような時代もあったそうです。また、飴作りには、麦の種もみを発芽させる時に使うむしろなどの農具も欠かせません。材料も道具も農家の暮らしに密着した飴が、400年、500年と作り続けられますように。
米を煮る様子米を煮る様子/8kgものもち米を炊いた鍋を「かいな」で混ぜます。力の要る仕事です。
作り手/協力して飴を作る、9代目の紀子さんと10代目の由佳理さん。
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