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農業技術・食文化
江戸時代の昔、讃岐の名産として「讃岐三白」という言葉がありました。
塩、砂糖に並んで、その一つに数えられたのが「綿」。
秋風にそよぐ白い花は、「そばの花」。
香川県の山里で白い花畑を見ることができます。
そばの食文化
お盆が過ぎ山里に赤とんぼが飛ぶと、そばの種をまき始めます。「75日で収穫できる」というそばは貴重な食糧でした。
香川県では、今も大みそかなどには「しっぽくそば」をよく食べます。ダイコンやニンジンの短冊切りをたっぷり入れ、油揚げや鶏肉を入れて作りますが、その昔の山里では山ウサギの肉でだしを取っていたそうです。
山一つ隔てた阿波からそば米の作り方が伝わり、讃岐でも「そば米飯」や「そば米雑炊」を食べました。「そば米」は、大釜に湯を沸かし、皮付きのそばを入れゆでます。塩をたっぷり加え、ふたをして蒸らします。これをいかきに打ち上げて日に干し、唐臼で踏んで皮を取ったらできあがり。
しっぽくそば
「まんのう町のそばづくり体験」
まんのう町では、8月のうね作り、種まきから11月の脱穀作業まで、地元農家の指導でそば栽培の体験ができます。また、「川奥そばうち道場」も開かれています。
川奥そば打ち
「塩江のそばづくり体験」
高松市塩江町セカンドステージでは、そばづくり体験をすることができます。また、塩江町では、休耕田でそばを栽培する取り組みを行い、真っ赤なそばの花も見ることができます。
セカンドステージそばづくり体験
江戸から続く讃岐の白
温暖で雨の少ない香川県の気候は綿づくりにも適し、江戸時代には高松藩や丸亀藩でも盛んに栽培されていました。特に、当時の多度・三野・豊田の三郡(現在の仲多度郡、三豊市、観音寺市のあたり)の生産量は、讃岐全体の半分近くを占めていたそうです。丸亀藩では、綿を打つ音がうるさいので「綿打夜分停止令(わたうちやぶんていしれい)」が出されるほどでした。
摘み取った綿は種を除き、「綿打ち」作業をします。綿打ち弓でたたいてよくほぐし、糸として紡げるようにしますが、そのときに出る音が騒音災害になっていたというのです。それほど、多量に生産されていた讃岐の綿。当時の綿問屋の店頭には、全国に積み出す真っ白い綿が雪のように積み上げられていました。
綿の花/かつては西讃に広がっていた綿畑。その花は美しく、咲き始めは薄い黄色、咲き終わりはピンク色に染まります。
よみがえる讃岐の綿
香川県に、綿づくりと、その糸で織りなす綿文化を復活させようと立ち上がったのが観音寺市豊浜町の「NPOコットン」。庭には小さな綿畑があり、中に入ると機織機や糸を紡ぐ「糸車」が置かれ、染色や機織りの教室を開催しています。5月に種をまく綿づくりは、半ばに畑に苗を植え、8月に花が咲きます。40日ほどでコットンボールという白い綿の実を摘み取ることができます。この種を除き、「綿打ち」、平らに広げて巻く「篠巻」、「糸紡ぎ」、小さな管に巻く「小管巻き」、綛(かせ)にかけて巻く「綛上げ」といった作業を行い「綛糸」ができあがります。その糸を草木染めや藍染めにして、色とりどりの美しい織物が生まれます。
さまざまな綿製品を生みだし、綿づくり体験などで町おこしを計画する「NPOコットン」です。
糸を紡ぐ/篠巻きを手に持ち、糸車を使って糸を紡ぐのは「NPOコットン」理事長の西原芳正さん。
糸車と綿の実/糸車は真竹を使って西原さんが手づくりしたものです。
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