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KAGAWA草の根協力特使
「KAGAWA草の根協力特使」制度は、香川県出身または香川県で在職経験のある方で、独立行政法人国際協力機構(JICA)が実施するボランテイア事業(青年海外協力隊員、シニア海外ボランテイア、日系社会青年ボランテイア、日系社会シニア・ボランティア)で海外に派遣される方やこの事業と同等と認められる国際協力活動に従事(赴任期間が連続90日以上であること)される方に、赴任地での本県の紹介、日常の活動や体験から得た情報提供を委嘱しているものです。
2014年2月〜2015年2月、青年海外協力隊としてインドネシア共和国へ派遣
職種:観光、派遣先:ジョグジャカルタ特別州政府文化観光局(ジョグジャカルタ特別州ジョグジャカルタ市)
ジョグジャカルタと言えば世界遺産のプランバナン寺院や、近郊に同じく世界遺産のボロブドゥール寺院を有するインドネシアの観光都市としてバリ島に次ぐ人気の都市です。更なる日本人観光客誘致の要請を受け、現地の観光局に配属された私が注目したのは隣県に広がる素晴らしい自然を利用したエコツアーです。
熱帯カルストという珍しい地域に属するグヌンキドゥル県は洞窟や美しい海岸が豊富で、それらを利用した新しい観光地が現地では人気になっています。
しかしながら、日本にはその情報はほとんど無く、これらの素晴らしい観光資源を多くの人々に知らせることが日本人観光客の更なる誘致に繋がると確信して活動を開始しました。
ウェブサイトの作成やブログ、SNSを利用した宣伝、日本の旅行代理店やガイドブックを刊行する企業とも連携を取り、情報量の増加に尽力しています。遺跡だけじゃない、ジョグジャカルタの可能性は無限大です。
2014年1月〜2016年1月、青年海外協力隊として東ティモール民主共和国へ派遣
職種:写真、派遣先:芸術・文化総局芸術・文化・創造的産業局(ディリ県)
東ティモールは南半球の小さな小さな島国です。21世紀最初の独立国で、まだ国としては12歳。国民の平均年齢も17歳(!)と、驚くほど若いパワーで溢れた国です。空港も、町も、山も、みんな海の近くにあって、活動している場所からは、なんと歩いて30秒で海。海を見ながらの自転車通勤はとても爽快です。夕方の浜辺はランニングをしたりサッカーをする若者たちで溢れています。
私は現在、任地の首都ディリの観光省芸術・文化総局にて、局員に対しデジタル一眼レフカメラの入門的技術指導や、機材維持に対する理解促進及び環境づくりを行っています。東ティモールでは観光産業の発達・文化的振興が期待されており、私の配属先では建築物の修復保存活動、資料や蔵書の面での様々な研修提供を支援し、各地区に現存する多様な文化遺産の調査を通じて、地域社会と協力し事業を行っています。今、独立して間もないこの時代を現地の方たちと共に活動出来ているという事に感慨深い気持ちでいっぱいです。
東ティモールの人たちは、少し控えめで意外に他人のことをよく見ているところは日本人とそう変わりません。地方に行くと、学校帰りの子供たちが皆大きな声で挨拶をしてくれます。こういった文化や習慣は日本に取り戻されるべき素晴らしいものではないかと感じています。時間に対する感覚も、個人的に想像していたほど大幅にルーズというわけでもなく、真面目に仕事をし、やるときはやる人が多く、一緒に活動していてこちらが学ぶことも少なくありません。そして何より、基本的に子沢山で、それに加えて地方から出てきて親戚と共に生活することが多い国であるという影響からか、人と人の繋がりが目に見えるように濃いものだとも日々感じています。
週末には、友人と共にカメラを片手にいろんな場所に繰り出しスナップ写真を撮影したりもしています。日差しが強い日中には家の中にいた子どもたちも、涼しい夕方になると、どこからともなく集まってきます。カメラがそれほど普及しているわけではない中で、外国人の私に最初は怖がりながらも、興味津々にモデルになってくれます。おすすめの場所や仲のいい友達を自慢げに紹介してくれる子どもたちはパワフルで、笑いや驚きが絶えない時間にさせてくれます。
国としては、まだまだ観光資源が近隣諸国と比べると弱く乏しいイメージがある東ティモール。インフラ整備が不十分であることや、東南アジアの一国としては物価の高さが頭一つ抜けているなどの点から、そのような角度からも観光客に対するアピールを意識し努力していくべきだろうと考えつつも、若い力が溢れているこの国には、いろんな可能性がこれからどんどん開けていくのだろうと思います。
まだ半年、もう半年ですが、配属のスタッフと共に迷いながらも、東ティモールの魅力を引き出していけるような写真を一緒に撮っていけるように残りの1年半活動していきたいと思っています。
2014年3月〜2015年3月、青年海外協力隊としてベリーズへ派遣
職種:環境教育、派遣先:ベルモパン町役場(カヨ郡ベルモパン)
中米のベリーズで活動をしています。ベリーズというと「ブルー・ホール」を代表するような綺麗な海を想像されるかもしれませんが、私の赴任先である首都ベルモパンは海からバスで約1時間半の内陸に位置しています。首都と言っても人口は約1万5,000人しかおらず、「世界で一番のどかで牧歌的な首都」とも呼ばれます。
主な活動内容は、小学校を訪問して環境についての授業を行うことです。現在は、古新聞、トイレットペーパーの芯、牛乳パック等を用いてリサイクルアートを教えています。ベリーズの子供達は元気過ぎるぐらい元気で、クラスをまとめるのに苦労することもしばしばですが、子供達と接している時が一番楽しい時間でもあります。
任期もあっという間に残り1年強となってしまいました。帰国後にも、自分の活動が何らかの形で継続されていくような状態を目指して、頑張っていきたいと思います。
JICAボランティア連絡所から撮った2015年初日の出
ベリーズの国民食「ライスアンドビーンズ」
古新聞を用いて折り紙を教えている様子
2013年5月〜2014年3月、青年海外協力隊としてパラグアイ共和国へ派遣
職種:理数科教師、派遣先:ペドロ・アギエラ小学校(コルディジェラ県イタクルビ・デ・ラ・コルディジェラ市)
「隣に住んでいるのが親戚の○○さん、その隣が母と妹家族、校長は私のいとこで…」といつ終わるとも知れない親戚紹介。赴任当初は住民のほとんどが何かしらの親戚関係にあるという状況に驚かされていたけれど、今は人との繋がりの濃いイタクルビ市での生活が気に入っている。
家族と過ごす時間をとても大切にし、仕事の後や週末には庭先に椅子を出してマテ茶やテレレを飲みながら談笑する。そんな居心地のいい町での私の活動は、小学校の先生への算数の授業支援。教材紹介や授業への助言、知識研修会の実施などが主な仕事内容である。
日本では高校で働いていたため、小学校での活動は新鮮で、子どもの言動に日々驚かされている。12月には卒業式も終わり夏休みとなった。この間に、算数隊員で進めている算数の指導書づくりの追い込みを行う。残りの活動期間は少なくなったが、前向きで向上心旺盛な私の素敵な同僚たちに貢献できるような活動をしていきたい。
9月に実施した掛け算のコンクールの様子。みんな真剣です。
パラグアイの妹の15歳の誕生日。こちらでは特に女の子の15歳の誕生日を盛大に祝います。まるでウェディングドレスのよう。
2012年6月〜2014年6月、青年海外協力隊としてフィリピンへ派遣
職種:理数科教師、派遣先:教育省バイス市事務所(東ネグロス州バイス市)
マーヨンハポン(こんにちは)!
青年海外協力隊としてフィリピンで活動しています。任期も残りわずかになりました。これまで、任地のネグロス島バイス市の教育事務所で、市内の学校を巡回して理科の先生の支援を行ってきました。授業を見せてもらったり、セミナーに参加させてもらったりする中で、たくさんの素敵な先生たちと出会いました。そして、彼らのために一体私に何ができるのかと悩みました。学校巡回で気付いたのが、思った以上に実験器具があるけれどあまり使われていないケースが多いことでした。そこで、各学校で実験器具を使った模擬授業、そして先生方対象にワークショップを行いました。生徒たちの率直な反応や、先生たちが楽しそうに取り組んでくれる姿が本当に嬉しかったです。貧富の差が大きく生活も不安定ですが、そのような状況でも人々は明るく笑顔でいつも私が励まされます。人々の結び付きが強く、安心できる環境の中で活動させてもらっていることに感謝しています。
竹を使って伝統的なダンスをする生徒。フィリピンの人たちはダンスや歌が上手です。
学校をまわって模擬授業をしました。みんな一生懸命取り組んでくれてありがとう。
先生方対象のワークショップをしました。大好きな先生たちとカウンターパート。
生徒が作った顕微鏡モデル!フィリピンの人たちは手先も器用です。
山にある学校は事務所の人たちと一緒に行きます。どこへ行くのもアドベンチャー!
2013年1月〜2015年1月、青年海外協力隊としてケニア共和国へ派遣
職種:村落開発普及員、派遣先:マクエニ県ジェンダー・社会開発事務所(イースタン州マクエニ県)
私はケニアの首都ナイロビより南東150kmに位置するマクエニという街で活動をしています。乾燥地帯であるこの地域では、伝統的にサイザル麻を使ったバスケット作りが盛んです。私は社会開発事務所に勤務し、女性グループが作るサイザル製品のマーケティング支援を行っています。
赴任当初は、とにかく「何か支援してくれ!」とよく言われました。しかし、様々なサイザル製品を共に作っていき、お互いアイデアを出し合ったり、販売会を行ったりする中で、徐々に彼女たちの意識が変わってきました。現在は、「より良いサイザル製品を生み出したい!」と言う想いの下、共に日々切磋琢磨しています。
任期も残り1年になりましたが、まだまだケニアの人々から学ぶことの多い毎日です。しかし、いつかケニアのおばちゃんたちが作った製品を日本にお届けできるように、そしてお世話になったケニアの人々に恩返しできるように、これからも頑張って活動していきたいと思います。
サイザルバスケットを作っている女性グループ
一緒に活動をしている事務所の同僚
2013年1月〜2015年1月、青年海外協力隊としてバングラデシュ人民共和国へ派遣
職種:感染症対策、派遣先:ロッキプール県保健衛生事務所(ロッキプール県)
「バロアチェン?」ここでの会話はいつもこの言葉から始まります。これはベンガル語で「元気ですか?」という意味で、常に相手のことを気遣い、元気であればそれをともに喜び、また元気がなければ冗談を言って励ましてくれます。そんな人と人とのつながりを大切にする人たちに囲まれて生活しています。
私は今、バングラデシュという国で、すべての子どもと女性たちに予防接種の機会を届け、予防接種の接種率と質の向上を目指して、村にある予防接種所を巡回しながら日々活動しています。
現在では予防接種の重要性を多くの人が知っており、接種率も上がってきています。しかし、それでもまだ100%ではありません。栄養や衛生環境など十分ではないからこそ、子どもや女性の命を守るために病気の予防は大切です。
これからの残り1年、課題はまだまだたくさんありますが、現地の人々と協力しながらひとつずつ解決策を考えていきたいと思います。
接種所にて記録を確認中。右は、この地域の予防接種の責任者。左は、この接種所で実際に接種を行っているワーカーさん。
ここも村の接種所。元気な明るい女性のワーカーさんたち。
2013年7月〜2015年6月、青年海外協力隊としてマレーシアへ派遣
職種:作業療法士、派遣先:クランタン州社会福祉局(クランタン州コタバル)
「ムスリム文化とわたしの活動」
日本に居る時、私はムスリム(イスラム教徒)に出会ったことはありませんでした。しかしクランタン州はマレー系住民が約95%を占めるので、今は周囲がほぼムスリムです。赴任当初はびっくりしたモスクから流れるアザーンも今ではなんてことのない日常の一部で、アザーンが流れ出すと「ああこんな時間か」と思うようになりました。「お祈り行くの?」なんていう会話も当たり前です。
私は作業療法士という職種で派遣され、障害者の就労支援を行っています。州内には『地域に根ざしたリハビリテーション』施設が39カ所あり、地域の障害児、障害者のリハビリテーションを行い、社会で暮らしていけるように支援しています。
しかし施設から社会に出ていくための就労支援のシステムはまだ確立していません。そのため、そのシステム作りの手伝いをしています。あと一年ですが、今できることを一つずつ解決して、雇用による障害者の社会進出が促進できればいいなと思います。
本人の写真
配属先利用者の障害者の方が働くクリーニング店の様子
写真左から同期の体育隊員、カウンターパート、同僚、本人
コタバル市内のマーケットの様子
2013年7月〜2015年7月、シニア海外ボランティアとしてケニア共和国へ派遣
職種:柔道、派遣先:警察訓練学校(ナイロビ市エンバカシ)
「ケニアにおける柔道指導」
赴任して早いものでもうすぐ1年が経過します。ケニアで柔道の指導に当たるのは3度目です。大半のスタッフの者が顔見知りで、人間関係もスムーズです。
当初は、前回以上の実績を残したいと意気込んで臨んだのですが、テロの多発や治安情勢の悪化等から、配属先のメンバー達がこれらの応援で出動するなど、柔道コース開設に影響が及び、僅かに「初心者コース」の開設に至ったのみです。また警察訓練学校の柔道選手については定期的な練習時間の確保が難しく、思ったような成果が出せないままでいます。
そんな中、2014年4月末にナイロビで東アフリカ柔道大会が開催されました。ケニアからは男女とも8クラスのうち2クラスで優勝し、ケニア柔道の存在を示すことができました。
このような状況ですが、まだまだケニア柔道は強くなる可能性を秘めています。今後はケニア柔道協会が一つになって、ケニア柔道がますます発展していくことを祈って止みません。
日本大使館での「日本文化紹介」のデモンストレーション風景。ランガタ柔道クラブの少年達による投技。
警察訓練学校におけるリクルーツ(訓練生)の卒業式に出席したウルフ・ケニヤッタ大統領
教本を見ながらケニア人同僚に柔道の技を指導する
2014年4月〜2015年3月、ちぇれめいえプロジェクトでバングラデシュ人民共和国へ派遣
職種:日本語教師、派遣先:寄宿舎学校モノゴール(チッタゴン丘陵地帯)
のもしゅかーる!
みなさん、はじめまして。今年の5月から静岡文化芸術大学3年を1年間休学してバングラデシュのチッタゴン丘陵地帯にある少数民族の子供たちが学び暮らす寄宿学校モノゴールで日本語教師として活動している田中志歩です。
バングラデシュと聞くと、多くの人はイスラム国家を思い浮かべるでしょうが、ランガマティは少数民族の人々が暮らしており、国の大半を占めるアーリア系のベンガル人とは異なる日本人にそっくりな顔、そして仏教を信仰しているため、まるで日本の田舎に暮らすのと変わらない印象を受けます。
私はここで、7年生と9年生(日本でいう中学1、3年生です)の約100人の子供たちに日本語を教えています。新米の日本語教師の私にとって日本語を学ぶのはもちろんはじめてです。日本がどこにあるのか知るのも初めてな教え子たちに、日本語を教えるのは思った以上に大変で、最初100人も生徒ができることにびっくりし、30人の生徒の前で授業することがどんなに大変なことか、今まで授業の中で行ってきた実習とは違う、1年間私が責任を持ってこの子たちのクラスをもつという責任感やテキストも1つ1つ手作りしなければならない状況です。
初めてのことがいっぱいで毎日どうしようかなあ、どうしようかなあと悩んだり、今日の授業はむずかしすぎたかなあと1つ1つに一喜一憂する毎日ですが、現地のスタッフに助けられながら新しいことでいっぱいの毎日を送っています。
子供たちに、日本語を知ってもらうだけでなく、日本語というツールを使って、新しい出来事に出会うことのたのしさを知ってもらえるようなクラスを作っていきたいです。
テロカさんボボン
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