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公開日:2016年5月25日

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KAGAWA草の根協力特使 2016年

KAGAWA草の根協力特使

「KAGAWA草の根協力特使」制度は、香川県出身または香川県で在職経験のある方で、独立行政法人国際協力機構(JICA)が実施するボランテイア事業(青年海外協力隊員、シニア海外ボランテイア、日系社会青年ボランテイア、日系社会シニア・ボランティア)で海外に派遣される方やこの事業と同等と認められる国際協力活動に従事(赴任期間が連続90日以上であること)される方に、赴任地での本県の紹介、日常の活動や体験から得た情報提供を委嘱しているものです。

「KAGAWA草の根協力特使」からの現地情報(2016年)

  • 多田 康記さん
    2015年6月〜2017年3月、青年海外協力隊としてパプアニューギニア独立国へ派遣
    職種:理科教育、派遣先:パピタライ高校(パピタライ)
  • 安藤 麻優子さん
    2015年7月〜2017年3月、青年海外協力隊としてネパール連邦民主共和国へ派遣
    職種:学校保健、派遣先:シャンジャ郡教育事務所(シャンジャ郡シャンジャ)

多田康記さん(2016年4月)

2015年6月〜2017年3月、青年海外協力隊としてパプアニューギニア独立国へ派遣
職種:理科教育、派遣先:パピタライ高校(パピタライ)

「自分の役割とは」

パプアニューギニアに来て早くも10ヶ月が経った。この国の印象は人が温かい。駒ケ根訓練所の時やテレビ番組等で散々「危険な国」とか、「世界で最も天国に近い国」と揶揄されていたけれど何度この国の人々に「お世話になった」、「助けられた」と思ったことだろう。協力隊としてきたけれどこの国にどれだけ貢献できているかは甚だ疑問であるが、協力隊の真髄はヒューマンタッチにあるような気がする。
私は理科教員として派遣されている。パプアニューギニアは日本とは異なり2月から年度が始まる。所属している学校はGrade9からGarde12が在籍しており、日本でいうところの中学3年生から高校3年生に相当する。この国と日本とは教育システムが少し異なる。どちらの国も小学校から高校まで12年間学ぶのだが、日本は小学校6年間、中学校3年間、高校3年間だ。パプアニューギニアは小学校8年間、中学校2年間、高校2年間であり小学校から中学校に上がるのに入試のようなものが存在する。また、授業は全て英語で行われるため日本の生徒よりはるかに英語を流暢に話す。そのため、英語が話せなければ授業が出来ない。お世辞にも語学が達者とは言えず、この国の力になれているだろうかと自問する日々が続いた。特に今年度はGrade12を担当し受験を控えた生徒を相手にするためかなり授業の事を気にしていたが、最近になりその悩みも解消されつつある。
きっかけは昨年の11月だ。JPNG(Japan and Papua New Guinea)という祭を同じ任地の隊員と協力し開催した。ゲストとして州知事、日本大使、JICA事務所の所長を迎えるビッグイベントであった。その祭で私は理科教員として理科の実験ショー、健康増進イベント、空手の演武、現地ダンス、ソーラン節を行うことになった。実験ショーはペットボトルロケットを子ども達と行った。健康増進イベントは生徒に理科の知識を使い、啓蒙ポスターを作ってもらった。そして、よくできた物に関しては表彰を行った。

  

祭の中でも注目を浴びたのが、空手とソーラン節であった。私の任地は協力隊の歴史が長く日本人が受け入れられる態勢が整っているが、そういったものに触れる機会が無かったようである。空手はかじる程度にしかやってこなかったが、こちらの空手の先輩隊員のご好意で一緒に行うことになった。その後、付いたあだ名が空手マンギー。マンギーとは現地語で男の子という意味だ。授業を行う時にも「空手を教えてくれよ。」といった声が未だに聞こえてくる。始めは冗談かとおもっていたが、本当に興味があるようなのでGrade12を中心に少し教えることにした。日曜の午後、30分から1時間程度一緒に汗を流す。その時に授業について聞いてみた。「授業はどうだ?理解出来ているか?」と。すると「先生が赴任した時は発音や授業スタイルの違いでよく分からなかったけど、今は大丈夫だよ。ただ、この学校でGrade12を教える日本人は初めてだ。教科主任も認めてくれている証拠だから自信もって。」と言ってくれた。
この言葉にはかなり救われた。また、お蔭で心にゆとりも出来て、改めて協力隊の役割を考えてみた。授業だけではなく、空手や文化紹介、何気ない会話を通じてのヒューマンタッチことが協力隊にとって最も大切なのではないのかと。しかし、それが土台にあるが、やはり理科教員として授業を成立させないといけない。空手やその他のことで心に当たるソフト面、授業で協力隊の要請理由であるハード面の両面を大切にし、残りの任期を全うしたい。

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安藤 麻優子さん(2016年8月)

2015年7月〜2017年3月、青年海外協力隊としてネパール連邦民主共和国へ派遣
職種:学校保健、派遣先:シャンジャ郡教育事務所(シャンジャ郡シャンジャ)

「1年を振り返って」

ネパールへ派遣されて、あっという間に1年が過ぎた。赴任当初から比べると、任地の生活にも慣れ、友だちや顔見知りの人も増えた。残り任期が1年を切ってからというもの、時間の流れが早く、不安と焦りを感じ始めている。今回は、任地で生活・活動している中で把握・実感したネパール等についてご紹介する。

ネパールは、世界一高い山サガルマータ(通称エベレスト)やブッタの生誕地ルンビニがあることで知られており、北は中国、南東西をインドに囲まれた内陸国である。私が住む任地からも天気がいいと、ヒマラヤ山脈を望むことができる。やはりヒマールを眺めることができると、ラッキーな気分にさせられる。

任地から見たヒマール

昨年、ネパールでは死者約9,000人が犠牲となった大地震が起こった。派遣前の発生ということもあり、多くの方々からお気遣いいただいた。私の任地でも少なからず被害を受けている箇所があるが、先日機会あって、震源地にも近く甚大な被害を受けたシンドパルチョーク郡へ赴いた。当住民の生活や支援状況を知り、今なお復興途上にあることを目の当たりにさせられたばかりだ。

地震によって崩れたため、竹で建てられた簡易の教室

ネパール人は人懐っこくて優しく、穏やかだ。時間があれば歌や踊りを楽しみ、話をすることも大好きである。任地は、先輩隊員が代々派遣されている上に、出稼ぎや留学のため日本へ行ったり生活したりしている方や家族が少なくないため、「こんにちは」と日本語でも気軽に声を掛けられる。また驚くことに、初めて訪れる山奥の村でも、見ず知らずの私を快く迎い入れてくれ、食事を提供してくれたり、宿泊したりすることを厭わず、好意的である。ネパール人の温かさに触れる機会が多く、治安面は良好といえる。

ネパールでの大切な家族

ダルバード・タルカリ(ネパールの定食)

しかし、生活をともにしていくうちに、やはりネパールにおける厳しい現状も理解できるようになった。ネパールは、「アジアの最貧国」と言われている。また、2008年に王制が廃止されて、連邦民主共和制になるものの、昨年9月にやっと新憲法が公布された。ただそれに伴う政党間の意見や世論が大きく異なり、公布前から始まり今もなお度々「バンダ(ストライキ)」が起こり、交通網の遮断や国境封鎖が起こっている。昨年末から数か月間起こっていたインド間の国境封鎖では、ガスや石油、食料等の物資の入手が滞り、移動制限や薪での食事作り等、不安定な生活状況にあった。内陸国ということから、多くの物資を隣国からの陸路での輸入に頼らざるをえない制約があり、かつ世界においても優勢なインド・中国との隣国関係形成の問題に直面させられ、問題の山積に沈痛な思いになる。また、多民族国家であるとともに、約80%の人がヒンドゥー教であるネパールでは、法律からは除外されているものの「カースト制」が根強く残っている。名字から、どのカーストに位置し、どの民族かというのが一目瞭然である。そのため、カーストによって職業が確立されているということもあり、子どもたちの将来を考えると、前世も後世も決まっているようで、もどかしく感じてしまう。しかし、そのような厳しい状況下でも、暴動や反乱が起こらず、控えめに耐え、受け入れているネパール人の忍耐強さに感心する。

そんな魅力も問題も抱えるネパールで、私は首都カトマンズから西にバスで約10時間のシャンジャ郡にある教育事務所に配属され、学校保健分野の活動をしている。本事務所は、郡内約600校を管轄しているため、全ての学校を訪問するのは難しいが、少しずつ遠い学校へも足を運んでいる。ただ、山々の学校を訪問するのは、私にとってはトレッキングと同様だ。地図もなければ看板もない、道という道もない所をひたすら進むときは、アドベンチャーで、到底一人では辿り着けそうにもない。リュックの中に、保健指導をするための教材やパソコンを持参して学校訪問をし、学校保健の現状をモニタリングするとともに、子どもたちに日本紹介や手洗い・歯みがき指導を行っている。初めて訪問する学校では必ず日本紹介をして、香川の映像を見せたり話をしたりする。子どもたちは、海のないネパールと景観が全く違うことに、驚いている。学校現場へ行くと、やはり子どもたちや先生方との関わりが楽しく、有意義だ。私の授業では、子どもたちを始め先生方も興味を持って集中して聞いてくれる。まだまだ語学に苦戦しており、スムーズに授業を進めることは難しい。しかし、そんな私の授業にも真剣に向き合ってくれる彼らに、いつも助けられ聞き入ってくれることに、嬉しく思う。

トレッキング並の学校訪問

手洗い指導の様子

いろいろな学校を訪問する中で、日本に比べると、大きく異なる教育事情が悲しく感じられる。近年、ネパールでは少しでも収入がある家庭は、私立校に通わせるため、教育事務所が管轄している公立校では、低所得者やローカーストの子どもたちが多く、また公立校での教育は教科書を読み進めるだけの座学授業が大半だ。さらに、教室やトイレ等環境が十分に整備されていない学校校舎、ノートや制服も購入できない経済格差、遠路や家庭的理由で不登校やドロップアウトしてしまう家庭環境、教員の指導意欲の希薄さ、識字率の低さ等…、様々な教育問題が溢れ、考えさせられる。そんな中、出会う子どもたちはみんなかわいく、愛らしい。出会った子どもたちが、今後より健康で、夢を持って過ごせるように手助けをしたいと思い、日々活動を続けている。そのため、今後もより多くの学校へ訪問して子どもたちと出会い、会話をして、一人でも多くの子どもが、私を通じて心に残る知識や情報、興味や夢を抱けるような関わりを継続していきたい。また、配属先では日本における学校教育や学校保健に関する内容をスタッフや先生方に紹介するとともに、郡内における学校保健の仕組みや体制作りにも努め始めている。私の職種である学校保健という分野は、ネパールを始め多くの国で確立されていないのが現状だ。しかし、子どもたちを取り巻く教員や学校巡回をする事務所のスタッフたちの意識や行動が変容することで、子どもたちの生活良習慣形成に繋がると考える。私自身決して驕ることなく、任地の人に寄り添いながらともに実践していただけるように努めたいと思う。
今思うと、スロースターターで、まだまだみなさんに明示できる活動ができていないように感じる。しかし、ある意味それはネパールの習慣やネパール人のペースに、私が同調してきているからかもしれない。これからもまだまだ知らないネパールの魅力にたくさん触れて、残りの任期も笑顔で楽しみながら、日々を大切に任期を全うしたい。

かわいいネパールの子供たち

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