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KAGAWA草の根協力特使
「KAGAWA草の根協力特使」制度は、香川県出身または香川県で在職経験のある方で、独立行政法人国際協力機構(JICA)が実施するボランテイア事業(青年海外協力隊員、シニア海外ボランテイア、日系社会青年ボランテイア、日系社会シニア・ボランティア)で海外に派遣される方やこの事業と同等と認められる国際協力活動に従事(赴任期間が連続90日以上であること)される方に、赴任地での本県の紹介、日常の活動や体験から得た情報提供を委嘱しているものです。
2014年3月〜2015年3月、青年海外協力隊としてベリーズへ派遣
職種:環境教育、派遣先:ベルモパン町役場(カヨ郡ベルモパン)
アジアの数か国を旅行したことはあったものの、地球のほぼ真裏の国に来たのは初めてでした。肌の色、顔立ち、町並み……すべてが違っていました。一日の流れはゆったりとしているはずなのに、月日の流れは早く、そのスピードはさらに加速していき、あっという間に残り3か月程で帰国となってしまいました。これだけの異文化にありながら、「早く日本に帰りたい」とならなかったのは、ベリーズという国の穏やかさのおかげかもしれません。
ベリーズは、スリ・置引き・ボッタクリ等がかなり少ない国だと思います。そういった意味で、私自身も穏やかな気持ちで生活することが出来ています。ベリーズ人は、カリブの陽気なノリを持ちつつも、実は控えめな性格も持っています。親切なのに押し付けがましくないので、その優しさが日本人には心地良いです。
2年近くも生活すると、日常の身の回りのことは自分一人で出来るようになり、周囲の人に支えられていることを忘れてしまいそうになります。配属先の方々、近所の方々、他の隊員を含めたJICA関係者等全ての人に感謝しつつ、私が人生の2年間をここで生活した、活動した足跡を残せればと思います。
ブルーホール
環境教育
2014年7月〜2016年3月、青年海外協力隊としてミクロネシア連邦へ派遣
職種:小学校教育、派遣先:コロニア小学校(ポンペイ州コロニア)
「行事を楽しむ」
こちらに赴任してから一年が経とうとしています。初め驚いていたことも当たり前になったり、行動範囲や人間関係が広がったりしてすっかり生活に慣れましたが、それでも刺激的な毎日には変わりありません。紹介したいことはたくさんありますが、今回は、私が体験した三つの行事についてお伝えします。
まず、毎年三月八日の「国際女性デー(ウーマンズデー)」についてです。それに合わせてここポンペイでは、三月十三日、女性による女性のためのダンス大会が催されました。そのイベントを知ったのは、その一か月前、配属先の先生方がダンスの練習を始めたからです。各地の学校から有志が参加するそのチーム(エデュケーションチーム)に私も入れてもらい、一か月間ほぼ毎日、放課後に練習を行いました。
ダンスは三部構成で、フラの要素が入った「入場」、アメリカンポップな「メイン」、手を振りながら「退場」。「入場」はダンスの得意な先生が振り付けをしたのですが、「メイン」を教えてくれたのはなんと、近所の小学生の女の子たちでした。ポンペイの子どもたちは普段からアメリカンポップを聴いたり、ネットで動画を見たりして、歌ったり踊ったりするのが遊びの一つになっています。
チームの仲間と一緒に踊っていると、普段感じる言葉の壁も関係なく、自然に笑い合ったり励まし合ったりすることができました。それにしても、どんなに練習しても習得できなかったのは、ポンペイの女性たちのなめらかな腰の動きです。動画でお見せしたいぐらいですが、どんなに体の大きな女性でも、腰の可動範囲が広く、つい見惚れてしまうほど美しい動きができるのです。
イベント当日は平日でしたが、学校は休み、女性の先生も休み、男性の先生だけ草刈りのため出勤!ぜひ男性の先生方にも見に来てほしかったのに、これはちょっと残念でした。朝から夕方まで二十九ものチームが順番に踊りましたが、どれも個性的で飽きることがありませんでした。私たちも練習の成果を出し切って楽しく踊ることができました。
次に、イースター(キリスト復活祭)の音楽コンテストについてです。公立小学校には音楽の授業がありませんが、配属先には、日本から寄贈していただいた鍵盤ハーモニカがあります。日本ではなじみのある楽器ですが、こちらの子どもたちは見たことがありません。初めて見たとき、息を吹き込むだけで出る大きな音に目を丸くしていました。校長の提案で、音楽コンテストに向けて私が鍵盤ハーモニカを教えることになりました。対象は五年生、課題はイースターにちなんだポンペイ語の短い曲です。鍵盤に触れるのは初めての子ばかりですが、一か月間の練習でみるみる上達しました。新しいことができるようになるのが楽しそうで、毎朝教室に行くと「早く練習しよう!」と声をかけてくれました。コンテストの代表児童は一人だけなので、二十人全員をオーディションして女の子を選びました。どの子もとても努力したので心苦しかったのですが、みんな、その女の子を心から応援してくれました。
三月三十日のコンテスト本番では、女の子の家族と一緒に、緊張しながら見守りました。当の本人は堂々としたもので、笑顔であいさつをして、のびやかに歌って、そして完璧に演奏しました。他二十名ほどの出場者もウクレレ、ギター、電子キーボードなどを上手に演奏していて、観客としても楽しい時間を過ごせました。盲目の少女がウクレレを見事な指使いで弾いていたのが印象的でした。
コンテストの結果、我が教え子は「初めての楽器で賞」を受賞しました!それもそのはず、その場にいた全ての人が、鍵盤ハーモニカを初めて見たのですから。「金賞」や「銀賞」ではなく、一人一人に何かしらの賞があったようです。そういうところがポンペイ人らしくて、ほのぼのとしました。
ところで、鍵盤ハーモニカ学習には意外な効果がありました。朝練習をすると、一時間目の算数の授業への集中力が増すのです。そういえば日本の学校でも朝の会で歌を歌いますが、それは理にかなっているのだと実感。そして何より子どもたちにいろいろな経験をしてほしいので、これからも続けたいと思います。
最後に、卒業式についてです。ポンペイでは五月に学年末を迎えます。卒業式は一年で一番大切な行事。二週間ほど前から、卒業生(八年生)は入場行進や歌の練習をしていました。
小学校に先駆けて、五月二十一日には幼稚園の卒業式がありました。高校の体育館を借り、前日に先生方が華やかに飾り付けをしました。日本で卒業式というと紅白のイメージですが、こちらでは「スクールカラー」を前面に押し出します。コロニア小学校のスクールカラーは白なので、飾りはなんと「白黒」でした。風船も、来賓席を彩る紙テープも、白黒!日本人の感覚では違和感のある光景でした。ちなみに卒業生が着るガウンも女の子は白、男の子は黒でした。
「威風堂々」に合わせた入場から始まり、プログラムは日本と似ていましたが、欧米スタイルなので、角帽のひも(タッセル)を、向かって右から左へ切り替える儀式がありました。式を通して、ぎこちなくも練習通りに動こうとする子どもたちがかわいくて、顔がほころびました。また、我が子の成長に思わず涙するお母さんの姿は世界共通でした。
驚いたのは式後の風習です。退場を終えた子どもたちを家族・親戚が取り囲み、首にさまざまなものをかけ始めたのです。花輪、お菓子、おもちゃ、一ドル札・・・。そしてハグやキスをして盛大に祝福をしていました。
二十五日、小学校の式前日。隣にある短大の体育館を借り、一日かけて準備をしました。風船や紙花は定番ですが、メインは自然素材で作るフラワーアレンジメントです。竹の上部を割り、そこに輪切りにしたバナナの幹をはめ込みます。このバナナが生け花のオアシスにちょうどよくて、そこに葉や花を挿していくのです。先生方は手慣れたもので、あっという間に見栄えのよいオブジェを完成させました。私も挑戦したけれど、センスのなさを痛感。でもとてもおもしろい作業でした。
二十六日、式当日。「かわいい」幼稚園と違い、八年生ともなるとみな「凛々しく」見えます。直接教えてはいない子どもたちですが、それぞれの八年間を終えて胸を張って巣立っていく姿にはやはり感動しました。
ところで、ここでも驚きの習慣が。証書授与の際、名前を呼ばれると、後ろの席の家族・親戚・友達が「ヒュー!」と声を上げて盛り上げるのです。本人は照れながらもうれしそうな顔。「厳かに、静粛に」がモットーの日本の式とあまりにも違っていました。
そして式後の恒例。幼稚園で一回見たけれど、やっぱりすごい。壁際に一列に並んだ卒業生に向かってバーゲンセールのように人々が突進し、プレゼント渡し、ハグ、キスの嵐でした。私はもみくちゃにされながらその光景を目に焼き付けたのでした。
その土地の行事にはその土地の人々の気質、考え方が表れるものだと思います。私は行事を通して、ポンペイについての理解を深めながら、カッペレン(楽しい)!な日々を送っています。
おそろいの衣装でダンス
大人顔負け、少女のダンス
少し緊張していた本番前
幼稚園卒業生、最後はこうなります
ポンペイ式生け花
小学校卒業生、おめでとう!
2015年1月〜2017年1月、青年海外協力隊としてモンゴル国へ派遣
職種:花き栽培、派遣先:ドルノド県技術カレッジ(ドルノド県チョイバルサン)
「モンゴルの夏は想像以上に短く、冬は長かった」
モンゴルに来て一年が経とうとしています。私が住んでいるチョイバルサンの街も本格的な冬がやって来ました。連日最低気温が氷点下23度前後で、ヘルレン川の水も凍り川の上を歩けるようになりました。香川県育ちの私にとってモンゴルの寒さは想像以上でしたが、氷点下10度、20度、30度と経験するうちに寒さの感じ方も変わってくることが分かりました。氷点下20度を超えると寒いというより痛いというのが実感です。モンゴルの申年は寒いらしいので、来年は氷点下40度を経験できるかもしれません。
私の活動状況ですが、夏休みの実習を通じて花き・野菜栽培において一定の成果が出せました。花き栽培では、芝生も花も種から植えて栽培できましたし、「百万本の木を植えよう」というプロジェクトにおいて、私の配属先である学校が一番貢献したということでモンゴル政府から表彰されました。野菜栽培では、ハウスや露地で栽培した様々な野菜を市民に販売することができました。
オオヤマザクラの種を植えているところ
学生に松の支柱作りを指導しているところ
教師の日のセレモニーにカウンターパートと参加
向日葵と雪のコラボレーション(10月上旬のモンゴル)
学生とモンゴルのデール(民族衣装)を着てチンギスハーンの誕生日を祝う
2015年1月〜2017年1月、青年海外協力隊としてヨルダン・ハシェミット王国へ派遣
職種:環境教育、派遣先:教育省文化芸術活動局(ザルカ)
「ヨルダンに来て5ヶ月」
ヨルダンに青年海外協力隊としてやってきて約5ヶ月経ちました。協力隊の受験や訓練開始から数えると一年ほど経ちます。ここまで楽しいことも大変なこともあり、短かったような長かったようなどちらとも取れる心境ですが、これまでの任地での生活や活動を通して経験して知ったことや感じたことを紹介します。
ヨルダンは国民の90%以上がイスラム教徒ということで、生活の中心にイスラム教が根付いています。毎日5回、お祈りの時間を知らせる「アザーン」もヨルダンに来た当初は聞き慣れず落ち着かないところもありましたが、今では聞き慣れて当たり前になっています。またお祈りの時間になればイスラム教徒の人々は仕事中でも外出中でもお祈りを行う姿から、やはりイスラム教が生活の中心にあるということを実感します。
その為、イスラム教の教え(お酒を飲まない、毎日5回お祈りする、豚肉を食べないなど)をしっかり守った生活をしている人が多く、日本との宗教観や文化の違いからいろいろな面で注意をしなければいけない点もいくつかありますが、その点を押さえておけば、アラブ人は基本的に明るくフレンドリーな人が多いので楽しく仲良く付き合うことができます。
またヨルダンに限らずアラブ文化の食事は、朝食が11時頃、昼食が15時頃、夕食が20時頃といった様に、日本と食事のタイミングが異なっていて、朝食では主に伝統的なアラブ料理であるホンモス(ヒヨコマメをペースト状にしたもの)をホブズ(ピタパンの様な小麦粉のパン)につけて食べるのが定番です。そして昼食にマンサフ(ブロードというヨーグルト製品の一種で煮込まれた羊肉を米に載せたもの)やマクルーベ(伝統的な炊き込みご飯)を食べるなど、昔からの伝統が今も残っています。その一方で、首都のアンマンは観光客や外資系企業なども多く高層ビルが立ち並び、カフェやバーなどもあり近代的な町並み、ライフスタイルになっています。
2月の半ばに任地のザルカに入ってから4ヶ月ほど経ち、生活にもだいぶ慣れてきました。ザルカはヨルダンの3大都市のひとつで工場が多く労働者の往来が多い工業都市です。その為、特別観光資源などは無いのですが、ヨルダン各地域へのバスの路線が多く移動にはとても便利な場所です。現在、市街地から少しはなれた住宅街のアパートに住んでおり、朝7時過ぎに出勤して午後4時前に帰宅し買い物や料理などをして過ごしています。
また街中を歩いている時などに知らない人から声をかけられることも多く、そこでの交流も楽しんでいます。また大家さんを始め、少しずつ居住地域で知り合いもでき、帰宅後に時折自宅に招かれて一緒に食事をして交流をする機会を持つことも多くなりました。その他の地域でも時折会う友人もできるなど少しずつですがアラブ人との人間関係も広がってきています。
また、ヨルダンでは休日が金曜日と土曜日なのですが、その休日を利用してヨルダン各地に観光に行っています。ヨルダンには世界遺産のペトラ遺跡をはじめとした遺跡群やワディラムという広大な砂漠などがあり見所も多く観光資源が数多く存在しているので、今後一年半で様々な場所を訪れヨルダンを深く知りたいと思います。
2月半ばに任地のザルカに配属になってから約一ヶ月間は、新規の要請での配属であったことや自分自身来たばかりで何をすればよいのか分から無い状態で、まずは教育局に慣れるために日々職員の人たちとお茶を飲んで交流するといった状態でした。
その後、先輩隊員達とともにザルカにて教員向けの環境ワークショップをしたことをきっかけに次第に各校から環境教育をしに来てほしいという要請が来るようになりました。その背景には工業都市ゆえに汚染やゴミの問題があり、もともと環境教育に対して積極的な先生が多かったのではないかと考えられます。
そうして4月頃には様々な学校に一日、一週間など期間はまちまちですが学校巡回を行うようになりました。これまで環境教育に対して実務経験がなく言葉の壁もあり、どうすればいいのかわからない状態の中、学校からはリサイクル工作に対するニーズが多くあったので、新聞紙やアルミ缶などの廃材を利用した工作をメインに活動を行いました。また突然学校に呼ばれて状況が分からない中、いきなり授業を行わなければならないという状況にとまどうことも多々あり、臨機応変さの必要性も強く感じました。
しかしながら、5月に先輩隊員とともに実施したゴミ拾いイベントでは、多くの学校や生徒に参加してもらうことができ、環境教育活動に対する認知をさらに広げることができたように思います。今後も定期的に実施していきたいと考えています。現在は学校が夏期休校中ということもあり、自身の環境教育の活動も一時停止の状態なので、この約2ヶ月の休校期間中に8月後半より始まる次学期に向けた授業案や教材の作成に取り組み、引き出しを増やし様々な状況に対応できる準備を行いたいと思います。
カウンターパート
ゴミ拾いイベント集合写真
ザルカの街
ザルカ教育省
教員向け環境ワークショップ
私
伝統料理ホンモス
伝統料理マクルーベ
2015年3月〜2017年3月、シニア海外ボランティアとしてザンビア共和国へ派遣
職種:経営管理、派遣先:全国技術事業化センター(ルサカ)
NTBCは、2002年に国内の研究機関や大学の研究成果を実用化するために設立された機関です。現在これに加え、民間の新規事業者や発明家の起業支援を行っています。製造業、農業・畜産から金融分野まであらゆる民間事業が対象です。同機関で、私は起業支援のお手伝いをしています。職場は、首都ルサカにある政府の合同庁舎内にあり、オフィスの様子は日本の会社と違いはありません。
私自身は元々研究者でしたが、研究開発の傍ら、開発内容に関わる事業の企画、欧米での市場開拓や、プロセス設計、工場建設、その後に別業種での企業経営も経験してきました。ザンビアでの仕事は、私にとって未経験な事業領域もありますが、事業化という視点では共通する部分も多く、多様な経験を生かす場所として最適だと思っています。当地には起業経験者が少なく、事業家の方々だけではなく、NTBCに所属する職員に対する教育も重要だと感じています。
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