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文化芸術や環境・産業・教育など、さまざまな分野で人と地域づくりを支える活動を行っているNPO法人アーキペラゴの皆さんと「瀬戸内」をテーマに意見交換を行いました。
知事:日頃の活動内容や、その中で感じておられること、課題についてお話をお聴かせください。
参加者(A)
アーキペラゴというのは多島海・群島という英語でございます。2009年にこの名前に変えました。元は2002年にかがわ産業支援財団ができたときに関係者が集まって話をしようということで、INS香川というNPO法人をつくったのが最初のスタートです。アーキペラゴと改名後、専従の職員を置き事業がスタートしました。
瀬戸内海のような情景のことを北川フラムさんは「海は高速道路と光ファイバーのようなものである」とおっしゃっていますけれども、そんな中で、いろんな島々に息づく伝統とか文化をもう1回見直してみたいという思いが募ってきました。そこに暮らす方々の歴史に触れたときに、もしかしたら私たちの未来図をそこに描けるんじゃないだろうかということで、アーキペラゴという名前にいたしました。ですので、島は私たちの未来図かもしれないというのが私たちの全ての原点になっております。
その中で自律・協調・分散という方針のもとにジャンルで分けると三つの大きな柱「アートと文化を多島海に学びながら伝えていこう」、「子どもたちの未来を担って開いていこう」と、「地元の種を磨いていく」これがアーキペラゴのコンセプトです。
やっている事業は、「芸術士活動」、「放課後児童クラブ」これは子どもたちに関わること、「さぬきマルシェ」は県産品の振興、瀬戸内国際芸術祭では「漆の家プロジェクト」をやらせていただいています。海ごみの問題から発して「瀬戸内クリーンナップ事業」で給水スポットを作っていこうとか、人材をつくっていこうという活動もアーキペラゴの一つの大きな活動です。
それから、元々アーキペラゴの名前になっていくきっかけになりました島の魅力をどう伝えていくかということで、着地型の「島めぐりのツアー」、アイランドホッピングと私たちは呼んでいますけれども、そんな事業のプランのお手伝いをしたり、ガイドの手伝いをしたり、島の宿泊所を増やしていきたいということで、エアビーと連携して物件のご紹介をしたり、豊島の産業廃棄物問題は当時大きな課題でもありましたので、そのゼミを豊島にお邪魔して皆さんと一緒に学んでいくことをやらせていただいています。これらのベースとして「アート県香川のルーツってなんだろう」という勉強会をみんなでしておりました。
まずは、島とアートから学ぶというところで、芸術祭が始まるまでのいろんなお手伝いをしました。2005年12月に北川さんを招いて大地の芸術祭の話を伺い、有志のメンバーを募って大地の芸術祭2006年にお邪魔するきっかけになります。そんなことを含めて、北川さんとの交流が始まり、高松市美術館で北川さんの講演会を当時のINS香川で主催して実施しました。これが実質的に芸術祭が始まっていこうという、きっかけのキャッチボールになったんじゃないかと思っています。その後、皆さんと一緒に北川さんをご案内して小豆島や男木島を訪ねたりといったことが2008年ぐらいから始まっていきます。
東京にシブヤ大学という第3セクターで運営しているNPO法人があるんですけれども、そこの皆さんと共同企画をしまして、東京の皆さんに四国瀬戸内海に来ていただき、それを地元のメンバーが案内するということで、シブヤ大学アーキペラゴツアーを2007年、2008年に企画しました。60人から70人ぐらいのメンバーが集まって、3コースに分かれてアイランドホッピングをしながらお互いに語り合ったり、小豆島のオリーブ園でみんなで収穫祭をやったりしました。これがアーキペラゴという名前になって芸術祭が起こる前なんですけれども、島々の魅力をどんなふうに伝えていったらいいのかということを共有した一番のきっかけのイベントになったんじゃないかと思います。
こんなことを交流をしながら語っていき、訪ねていき、いろんな方々とのネットワークをつくっていくことをやっておりました。おかげさまで芸術祭が始まったら、海あかりのプロジェクトのお手伝いをしたり、農村歌舞伎を訪ねたり、男木島のおじいちゃんに島の凧づくりを子どもたちに教えてもらったり、芸術祭が始まってからは、当時はまだ瀬戸内こえびネットワークという組織がなかったんですけれども、私たちアーキペラゴの職員が毎朝こえび隊の出発式をしていました。そんなところが私たちの2010年の出来事です。
そのおかげで豊島の産業廃棄物問題、この当時は何も処理が完結していない時代でしたけれども、島に訪ねて行き、地元の長老にお話を伺って、こんなことがあったんだよということを皆さんと一緒に共有していくことを2カ月に1回やって、その講義録を小さな冊子にまとめました。非常に貴重なお話だったと思っております。
同じく豊島には農民福音学校という、現在でいうと有機農業、ライフスタイルを紹介する学校があったと聞き及んで、そのお話を聞くことを年に2回ずつぐらいずっとやっておりました。講義を聞いて、その後まだそのお家に残っているロシア式のパン窯で焼いたパンをみんなでいただくのもとても嬉しい、そんな勉強会をしていました。
参加者(F)
アーキペラゴで島の活動をいろいろとさせていただく機会があり、私もそこに行くことで島の方たちに大変良くしていただいて、とてもすてきな方たちが多くて、プラス、今まで知らなかった島の魅力、なかなか観光の雑誌なんかに出てこないようなところがたくさんあることがわかってきたので、そういった場所とか物、何よりも人が魅力的だなと思っていたので、そういった方たちをご紹介できるようなツアーを作ったり、あとは研修視察などのご相談があったときにどこを案内するか、どういうテーマで案内するかということを考えてツアーの造成などをしています。
特に豊島と小豆島については、私たちが目にしているもの、食べるものといった文化もそうなんですけど、そういったものをいろいろ紐解いていくと、小豆島と豊島はそれぞれの石の文化が小豆島と豊島の今あるものを形成したということがわかってきました。小豆島にはそういったことをお話しされるすてきなガイドさんがいらっしゃるんですけれども、その方が食堂をやっていてなかなかガイドに出られないということで、彼女の頭の中にある知識を本にまとめたいということで一昨年冊子を制作しました。冊子は当時の小豆島高校の全校生徒さんや島の中で配布していただいたり、自慢しながらいろんなところに持っていってます。
参加者(B)
いろんな事業をやっているアーキペラゴなので、多様性というか、まさに自律・分散・協調なんですけれども、その中の一つ海洋プラスチックごみの対策をやっています。
そもそも、私もアーキペラゴで海ごみ対策のことをやろうと最初から思っていたわけではなくて、2008年、2009年あたりに瀬戸内国際芸術祭に向けていろんな動きが起こっている中で、今(F)さんが言ったように島の人の魅力だったり、島の文化、それに加えて今度は現代アートが入ってきて、その魅力を伝えていこうというときに島の浜辺に行ってみればものすごいプラスチックのごみがあるではないかということになりまして、せっかく今度、2010年から瀬戸内国際芸術祭で世界中の人が島を訪れるのにこんなにごみがあったら駄目だよねということがありまして、2008年、2009年ぐらいからアイランドホッピングしながら島を巡ってごみを拾っていく活動をスタートしたのがきっかけです。
その後も主に子どもたちを対象に楽しくやっていたんですけど、私一人あるいはアーキペラゴ単体ではなかなか難しい。そこで、人材育成をしていかないといけないんじゃないかということで、香川県の環境管理課と共同で人材育成をどんどん進めていこうと始まったのが「かがわ海ごみリーダー」の育成になります。まだまだ若い世代の人たちが海ごみリーダーになって、それぞれがそれぞれの場で活躍するようになったことで、経年でずっと見ていくとやっぱりここ10年、15年の間にものすごくごみが減っているのは間違いないことになってきましたので、本当に同時多発的にいろんな場所で海ごみリーダーが活躍してるということだと思います。
そういうふうになってきたので、アーキペラゴは独自で海ごみの回収もしますけれども、どちらかと言えば人材育成であったり、あるいは海ごみリーダーをはじめとした県民の人たちが、ごみ拾いの活動をしたいんだけどというときにそれをサポートする係だったり、海ごみリーダーたちが何かをやろうというときに勉強会を開催して、それぞれのスキルアップ、底上げをする、あるいは外部から専門の方を招いて勉強会をして、より専門的な知識を身に付けていくという中間支援の役割を今は担ってきているんじゃないかと思います。
加えて、瀬戸内国際芸術祭、島とアートがきっかけになって起こったビーチクリーンの活動なので、特に前回の瀬戸内国際芸術祭では、まだコロナが収まったとは言われていないときで、島の飲食店が休業に追い込まれていたりしまして、テイクアウトでお弁当を持って島に渡る人が増えていて、島に処理場がない中でごみが散乱し始めたらどうするんだということで、実行委員会の方にも話をしまして、勝手にごみ拾いに行かせてくださいということで、「しましまゴミゼロプロジェクト」で、真夏から秋まで週に3回か4回ずっと交代でみんなが島にごみ拾いに行く活動をやったり、高松港に給水機を置いて、少しでもプラスチックごみが減るような活動もして、発生抑制につなげていこうということをやったりもしました。
そういうことで、クラウドファンディングで給水機をアーキペラゴで買いまして、それを市役所に寄贈して使っていただいたりもしているんですけど、置いてみると1年間で1万6000本ペットボトル削減ぐらいまでいってるようなので、効果はあるんだということがわかってきたりということでいろいろとやっております。
参加者(A)
芸術祭の始まりに合わせてこえび隊を募集している中で、セミプロと思われる若者が何人かいまして、その子たちの仕事ができたらいいなと考えているときに、ちょうど国の雇用補助金が出ると聞いて、それを使って新しい仕事をつくれないかということで、子どもたちのフィールドの中にアーティストが行くことを考え始めて、高松市に提案して市の事業としてやっていただいたのが2009年から始まる芸術士事業です。
それプラス、個別の施設からお声が掛かってプラス事業が始まり、今はJA共済の地域貢献活動「お試し芸術士活動」で、複数の市町が始めてくださって連鎖的に広がっています。一昨年からは香川県教育委員会からもお声掛けいただいて、特別支援学校や県下の幼稚園などにも数回行かせていただいています。子どもたちの領域以外でもいろんなイベントに芸術士が出向くオーバー事業や、小学校に行って芸術士と離れてしまうのは寂しいという思いがずっとありましたので、事務所の移転に合わせて芸術士がいる放課後児童クラブをしております。
芸術士事業のそもそものきっかけとなったのは、2009年3月に高松市に提出した「芸術士のいる幼稚園」という企画書です。これはイタリアのレッジョ・エミリア市がやっているアトリエリスタという方式を日本版に置き換えて芸術士と読んでみませんかということと、「子どもたちの100の言葉」という私たちの芸術士活動のフィロソフィーになっている「元々子どもたちには100の言葉があったけれども、成長するにつれて大人がそんなことはしてはいけない、こんなことを考えてはいけないと言って99を奪ってしまう。でも子どもたちには100の言葉があるんだよ」という詩があるんですけれども、その詩を書いてタイミングとすると芸術祭が始まる年からできませんかと高松市にお願いした企画書となります。
レッジョ・エミリア市は人口17万人ぐらいの北イタリアの小さな町です。戦後ドイツ軍が残していた戦車の屑鉄を売って、そのお金でレンガを焼いて、女性がちょうど日本と同じように参政権を得たタイミングでしたので、彼女たちの幼児学校をつくろうという声から始まり、町で職にあぶれていたアーティストを雇用して幼児学校の先生として雇ったというのが元々の始まりだそうです。今では世界で一番進んでいる幼児教育ということで、英訳されて世界中に広がって特にヨーロッパではレッジョ・エミリアアプローチということで、毎年300人の国費の研修団がこの町を訪れています。
参加者(D)
私は岡山から来ていまして、最初は幼児にアートを教えるってどういうふうにするんだろうと思って、まずアーキペラゴが芸術士を派遣しているということで勉強しようと思ったのがきっかけなんですけれども、そもそも私の「子どもたちにアートを教える」という考え自体が間違っていたと思ったんですね。
芸術士の一番大事なところは、子どもたちに失敗も含めていろんな経験をさせて、子どもたちに生きる力をつけることが目的で、ただ絵を上手に書くとか、工作が上手くなるとか、歌が上手に歌えるとかということを目的にしないことなんです。アーティストは常に子どもを中心にしてやっていくのが一番大きなところだと思っています。
もちろん岡山でもそういう県がやっている事業でアーティストが学校に行ってワークショップをするというのはあるんですけれども、今高松でやっているのとは全く違う。どちらかというと、芸術というよりも教育の方に力が入っているというか、そちらの方が切実な問題なんだろうと思っています。今、自己肯定感を高め、非認知能力を伸ばすということで、Eさんから説明します。
参加者(E)
認知能力と非認知能力ということが最近すごくクローズアップされていると思うんですけれども、答えの出る算数、数学、理科、国語、社会、こういったものにこれまで大変重きを置いた教育がなされてきて、そのおかげで科学の発達やAIの力ですごく便利な世の中にはなってきているんですけれども、相変わらず環境は悪化しているし、温暖化も止まらないし、難民問題・貧困・戦争もなくならない。そういった難問が山積みになっていると思うんです。
ここで必要になってくるのが非認知能力なのではないかと改めて聞くようになってきました。例えば、壁にぶつかったときにへこたれない発想力や失敗から学んで挑戦する粘り強さ、人とコミュニケーションが取れるということ、こういったことが求められてきていると思っております。
こういったことは、0歳から5・6歳の時期にさまざまな経験からたくさんのことを吸収することによって構築されていくのではないかと思います。決して難しいことではなくて、昔、私たちの年代ですと、外で近所の子どもたちと山や川や田んぼの中を走り回って、近所のおじさんやおばさんに教えられたり、ほめられたり、叱られたりしながら育んできたものだけれども、今の子どもたちの環境の中ではそれがなかなか難しい。そこを芸術士活動というのは、各園などにおいて、いろんな遊びを通して育んでいけると考えております。
参加者(D)
活動では、本物のイカを持って行って子どもたちに触ってもらったり、遊んでもらったりして、最後に絵を書いてというように、まず体験から入っていくようにしています。大人は、子どもたちに白い大きな紙と鉛筆を渡せば絵を書くと思いがちなんですけれども、そんなことは決してなくて、どうやって子どもたちの興味を持っていくかという、その入口づくりをアーティストがやっていきます。子どもたちは、それに自分たちでいろいろ考えていろんな遊びをするということですね。プールの中にガチャガチャをバーッと入れて、それを子どもたちがいろんなものを使って遊ぶというのも夏恒例の遊びです。
あとはクモの巣だったり、泥や土で絵を書いたり、アーティストはいろんなスキルがあるので、そこからいろんな遊びの入口だけつくると、子どもたちで大人が思いもよらないような遊びがどんどん発展していきます。一つの施設に年間20回ぐらい行くと、長期的なプロジェクトで遊びをつくっていくことができます。単発的なワークショップ、1日だけで終わるものではなく、連続した遊びの中から多くの経験をして学べるようになっています。
参加者(E)
昨年度から香川県教育委員会の芸術家の派遣プロジェクトでお世話になっております。香川県下の市や町の一般の幼稚園、子ども園、保育所5園と特別支援学校4校に2回から4回、年間を通して派遣させていただいております。
2009年から始まった芸術士活動なんですけれども、最初は高松市の28施設に8人の芸術士がほとんど毎日行っていました。高松市では、令和2年までに年間1600回の派遣回数で40施設ぐらいをベースにこれまできたんですけれども、あまりにも芸術士を希望する施設が多くなってまいりましたので、令和3年度には、施設数を増やして1施設当たりの回数を減らしました。令和4年には先ほども紹介がありましたが、JA共済の地域貢献活動のお試し活動などを含めまして派遣の回数が一段と増えました。それを受けて、複数の市町が自治体で事業化してくださいました。
現在、県内外も含めまして200施設以上、回数にしますと年間2000回を超えております。毎日どこかで芸術士が子どもたちと活動を展開している現状です。芸術士は今35人います。ジャンルは、絵画彫刻、舞台芸術、パフォーマンサー、音楽家いろいろです。
子どもたちは本当に遊びの天才、何にでも興味を持ち生かす達人です。この芸術士活動を通じて、未来の香川県、日本を担う子どもたちに非認知能力をしっかりと高めてもらいたいと考えています。それから、現場で子どもたちが発するエネルギーとか熱量、空気、面白いことを見つけてみるみる表情が変わっていく様子を実際に皆さんに見ていただける機会が持てたらいいなと思っております。
参加者(C)
私は「さぬきマルシェinサンポート」の5周年から担当させていただいています。当初は香川県が直接主催していたのを2013年からアーキペラゴが主体となって運営してきたと聞いております。
私が担当になった当初は、出店者が多く集まって20店舗、冬場の寒い時ですと多くて5店舗、少ない時には3店舗ぐらいになってしまうのが通常でした。開催も毎週日曜日で、天気がちょっとでも悪いとお客さんは別に無理して行かなくていいという感じ、出店者も今日行かなくても来週もあるしという感じで悪循環でした。
どうしたらお客さんや店舗数が増えるんだろうということで、1年間の間に毎週開催と隔週開催と月1回開催で試したところ、月1回が出店数も多く、お客さんも多いということで月1回にしようと今の流れになりました。
当初は、さぬきマルシェは県産品をPRする場所というものの、あまり県産に力を入れられていなかったのが正直なところです。最近は店舗数も増えてきたので、県産品をPRしているかどうかということと、売り上げの少ないところは、どうしたら売り上げが上がるのかということも考えて事務局が全出店者をサポートしています。最近では、売り上げも上がり、来場者数も増えるということで、店舗の方が他のイベントに出たときに、さぬきマルシェをPRしてくれるということもありまして、今年度は平均60店舗、多いときですと70店舗になっております。
当初から出てくれている出店者も高齢化し、80歳以上の方が3、4名ほどいらっしゃいます。そういう方もさぬきマルシェに出ることで、次は何を作っていこうという張り合いにもなっていますので、できる限り続けてねということで、体調を聞きながら参加していただいています。中には、体調を崩されて出てくることができなかった方もいますけれども、たまに遊びに来られて出店者とお話しして、またそれが励みになってもう1回出てみようかということで励みの場所にもなっていると思っています。
さぬきマルシェは、県産品をPRする場所、サンポート周辺のにぎわいづくりということで当初開催しました。今はどっちかというと、農家の方は特に商品のくずが出る、それを近所の人に配っていたり、廃棄していたりという方が多くいらっしゃって、それをどうしたらいいか自分たちでは考えられないということで、事務局がサポートする場になっています。同じ出店者の中でシロップづくりができるとか、粉末にできるとか、いろいろと他の事業をできる出店者が増えてきていますので、そういうところをご紹介して農家と加工ができる出店者をつなぎ合わせて、また新たな商品を開発してもらったり、出店者同士で新たな商品をコラボ商品として作っていただいたりという感じで、今どんどん増えています。外でやっていますので、近隣に住んでいる方がお散歩に来られたり、特にペットを飼ってらっしゃるお客さんが多くて、最近ではペット用のおやつやふりかけなどを作って販売されている方もいらっしゃるので、そういう形でペットを連れている方たちも参戦したりという感じです。
それから、毎回ただ店舗を出しているだけではつまらないし、メディアにも取り上げられにくいということで、毎月何かしらテーマを設けています。今年は県の他の事業もコラボしたいということで、コラボレーション開催を行っております。これからは、サンポート周辺もいろんな建物などができて、道路も歩行者天国になるということで、それらを活用してこれからもさぬきマルシェをどんどん大きく広げて頑張っていこうと思っております。
知事:ありがとうございました。大変勉強になりました。いろいろお聞きはしていたんですけれども、これほどまでに広がりと歴史がある活動で、改めて敬意を表する以上の驚きでありました。
せっかくですので、何点かお話しさせていただこうと思うんですけれども、一つは芸術士の活動で、規模にも驚いたのですが、先日、住宅フェアというイベントをやったんです。そのイベントの一つに小学生や保育園の子が棒とか、発泡スチロール、絵の具などで家の模型を作っていたんです。10組ぐらいいて、ほとんどは年長、1年生、2年生ぐらいなんですけれども、びっくりするぐらいの出来栄えなんです。手を挙げて抽選で来ているらしいんですけれども、おそらく全体のレベルの高さがあるんだろうなと感じました。
この芸術士の活動をその子たちが受けたかどうかはわかりませんけれども、間違いなくそういうものの成果というか、そういうことが生きてつながっているんだろうなとお話を聴いていて思いました。
香川は歴史的にもそうですけれども、芸術、絵を書いたり、デッサンしたり、そういうことが好きな人が多いなと私もこちらに戻ってきて、いろいろなところで話を聴いたり、お付き合いをしていて裾野が広いなと感じるんです。それを次世代を担う子どもたちに広げていただいているということは非常に大きなことですし、10年、20年後の香川の力になると思いました。
そこで、次に皆さん方の展望を聴かせてほしいんですけれども、ここまで芸術士の活動が広がってくると、今の義務教育、学校教育との関係で、香川の子はみんな他県にはないこういうことを体験できるという方向性も一つあるように思うんですが、そうなると先ほど、芸術士45人というお話がありましたが、その人数では難しいでしょうし、そのあたりは展望として何かおありなのか、今の段階で聴かせていただければと思います。
参加者(A)
知事のご指摘のとおり、私たちも今、芸術士協会という社団法人をつくって、このノウハウ、精神と姿勢を伝えていくために、たくさんのメンバーで芸術士を育成したいと考えております。芸術士は元々レッジョ・エミリアアプローチがお手本になっているんですけれども、日本で、高松でやっていくために、現場で培ったノウハウがありますので、それをいろんな人たちにとにかくお伝えしたいなと思っております。
今まではアーティストという方向からのメンバーが多かったんですけれども、最近問い合わせが多いのが保育士、幼稚園の先生をしているんだけどアートが大好きなのでもっと勉強したいんだという家政教育系の方々からのオファーが増えてきております。現実的に芸術士になる皆さんも幼稚園でこんな活動をしていたのでという美術大学出身の保育士の方が、もう1回芸術をやってみたいというオファーがきておりまして、そういった方たちをこれからどんどんつくっていきたいと考えております。
もう一つは図画工作の授業で、小学校に行った途端に普通の美術、図工の教育ではなくて、一般の先生が図画工作を教えるんですね。学校のこれからの外部との交流なども含めて、もっと外部人材として芸術士が小学校の少なくとも低・中学年ぐらいまでは、先生のサポートに入ったらどんなにすてきだろうかと考えておりましたら、先日、ある小学校が新しい校舎に移るので、取り壊しに当たって全員で思い出を作ろうということで、先生が図画工作の研究授業を4回にわたってするんだけれども、ノウハウがないので手伝ってほしいという依頼がありまして、1人の芸術士がそのお手伝いをずっとしておりました。ですから、小学校の中学年ぐらいまでの授業に外部からお邪魔して先生のサポートで二人三脚でやることができたら、もっともっと芸術士活動が充実していくんじゃないかと思っております。
知事:ありがとうございます。教育長とも意見交換してみたいと思いますし、そういう形で、できるだけチャンスが得られる限り、そういう場面が増えるようになればすばらしい財産として蓄積するだろうと思いますので、引き続きよろしくお願いします。
それから、マルシェについて、いろいろやってみて月1回のペースがいいというお話がありました。一方で、全国には輪島、高山など朝市が根付いているところがありますよね。そういうところは毎朝やっていたり、週末にやっていたり、県外の人も来るからうまく回るということもあると思うんですけれど、ある程度頻繁にやっていますよね。
私は朝市やマルシェが大好きなので特に思うんですけれども、取りあえず決まった第2日曜日とか、そういうところからスタートすることは大事なことだと思うんです。とにかく来る人、市民、県民の立場になってみると開催日が不規則だと覚えていられないし、マルシェに行くことを最大の目的にする人ばかりではないと思うと、月の市みたいに決まった日、今日は確か第2日曜日、毎月第2日曜日は何かやっていたよねということで行って、やっぱりやってたということは、すごくいい町の財産ですので、そう考えていくと、個人的には、週によって多少の違いがあっても毎週日曜日に何かやっているということが非常に町の財産、インフラになるんじゃないかと思っています。そういうことについて、Cさんはどのように考えておられますか。
参加者(C)
マルシェが毎週から月1回に変わったときに出店者もサンポートでは大きなイベントがあるので、そういうときにぜひ出たいけれどもマルシェは第3日曜日と決まっているからやらないんですよね、何でしないのということで、マルシェの出店者の中で一つのグループができて、マルシェが開催していないときにもマルシェをしようということで、取りあえず野菜を売っている方が毎週西側通路で販売をされているんです。
今後、プロムナードもできるということで、そこは毎週何かしらやっている、今回私たちは芸術士、パフォーマーや音楽関係の方もいらっしゃるので買物もできる、音楽も聞ける、いろいろなワークショップもできる楽しい空間にしてはどうかなと考えています。
知事:今の月1マルシェが毎週とはいかないまでも、緩やかに何かやっているということは大いにあり得るということですよね。ぜひ、その方向で、今後日曜日は道路側でもできると思いますので、そちらも使っていただいて展開していただければと思います。
本日はありがとうございました。引き続きよろしくお願いします。
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