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西暦 | 元号 | 香川の水の歴史 | 西暦 | 世の中の出来事 |
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1736 |
元文元 |
4月10日から6月9日まで長雨続く。 6月5日、大谷池(観音寺市大野原町萩原)の堤防が大破する。 8月16日に洪水がおこる。ため池、河川堤防の大破、決壊が多い。仁池(観音寺市)東西余水吐が決壊する。 ●逆瀬池(観音寺市)の堤防を6尺(約1.8m)かさ上げする。 |
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1738 |
3 |
8月11日~12日、大風洪水、家屋の倒壊、堤防の決壊多数。 | ||
1739 |
4 |
○夏、大干ばつ。百々渕に雨を祈る。 8月5日~6日、大洪水。濁流が丘に登り、稲田は水をかぶる。 6月15日、大谷池(観音寺市大野原町萩原)の堤防が大破する。10月に復旧に着手する。 |
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1740 |
5 |
7月1日、17日に風雨洪水があり、8月5日にまた洪水となる。 | ||
1741 |
寛保元 |
○7月21日、雨を祈願する。翌22日、大風雨、民家2千戸が壊れる。 ●4月、大谷池の堤防3尺(0.9m)かさ上げ工事が完成する。 |
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1742 |
2 |
6月3日、13日に風雨洪水があり、でき死者が出る。 | ||
1743 |
3 |
5月21日、大風雨。7月7日8日にふたたび大風雨がおこる。 ●蓮池(高松市東植田町)を築造する。 |
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1744 |
延享元 |
8月10日、11日に大風雨がある。 | ||
1746 |
3 |
8月24日、風雨洪水あり、稲田が水没する。 | ||
1747 |
4 |
○夏、干ばつおこる。8月19日には大雨洪水となる。 | ||
1748 |
寛延元 |
○6月4日5日に風雨洪水おこる。その後は7月下旬まで干ばつとなる。引き続き、大雨洪水がおこり、飢饉となる。 | ||
1749 |
2 |
6月26日、風雨洪水となる。7月3日に大洪水。井関池(観音寺市)の堤防が長さ40間(72m)に渡り決壊する。 | ||
1750 |
3 |
○7月、8月に干ばつとなる。 | ||
1751 |
宝暦元 |
うるう6月19日、大風洪水が起こる。 | ||
1752 |
2 |
7月4日、8月9日10日に大風洪水がおこる。 | ||
1754 |
4 |
○6月、7月干ばつがおこる。 ●奥池(坂出市川津町)をかさ上げする。 |
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1757 |
7 |
○6月と9月に大干ばつ。 7月26日には大雨洪水がおこり、民家数千戸が壊れ、人畜が多数でき死する。 9月5日また大雨洪水がおこる。 |
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1760 |
10 |
○夏に干ばつがおこる。香川郡鮎滝百々渕に初めて竜王祠をまつる。 | ||
1762 |
12 |
○夏5月、6月に大干ばつがおこる。高松藩主が大護寺に雨を祈る。 | ||
1764 |
明和元 |
●惣天満池(高松市)を築く。 ●明和年間に、錆田池(綾川町)を築く。 |
1764 |
平賀源内が火浣布(かかんふ)を発明する。 |
1765 |
2 |
8月2日3日に大雨洪水がおこる。8月8日にまた洪水がおこる。 | ||
1766 |
3 |
○6月~8月にかけて大干ばつがおこる。 | ||
1767 |
4 |
○夏、干ばつがおこる。 | ||
1768 |
5 |
5月27日に洪水がおこる。7月21日にまた洪水がおこる。各地でため池の堤防が決壊する。 高松藩で、これらの復旧に要した夫役56万7千余人、この扶持米4,250石(637.5t) ●甲子池(観音寺市)を築く。 |
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1769 |
6 |
8月19日、大風洪水がおこる。 | ||
1770 |
7 |
○この年、日照りが63日間つづく。 | ||
1771 |
8 |
○4月から6月にかけて大干ばつがおこる。 | ||
1772 |
安永元 |
8月20日夜、大風洪水がおこり、河川、ため池の破損が大きく、かつてない大災害となる。錆田池(綾川町)が決壊する。 |
1774 |
杉田玄白らの『解体新書』ができる。 |
1776 |
5 |
8月21日大雨洪水がおこる。 | ||
1781 |
天明元 |
蛙子池(土庄町)で堤防30間(約54m)にわたって決壊する。 ●このころ、紀伊大池(観音寺市)の堤防をかさ上げする。 |
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1782 |
2 |
蛙子池の堤防が復旧するが、秋に再び流失する。5月4日、25日に大雨洪水おこる。 | ||
1783 |
3 |
●蛙子池を再び復旧する。 |
1783 |
天明の大飢饉がおこる。 |
1785 |
5 |
○夏、干ばつがおこり、7月1日には大雨洪水がおこる。 ●男井間池(三木町)の掛井手水源を新川に変更する。 |
1787 |
松平定信が寛政の改革を行う。 |
1788 |
8 |
5月14日から6月21日まで雨が降り続く。 | ||
1789 |
寛政元 |
○夏に干ばつがおこる。 | ||
1790 |
2 |
○夏に大干ばつがおこる。 | ||
1793 |
5 |
●一の谷池(観音寺市)の堤防26間(46.8m)が決壊。10月復旧。 | ||
1794 |
6 |
○夏、干ばつがおこる。井関池(観音寺市)堅ユルが大破する。 | ||
1795 |
7 |
大雨洪水がおこる。 | ||
1796 |
8 |
●田渡池(高松市)を築く。 ●小田池(高松市)を増かさ上げ。 高松藩主が小田池の工事を視察する。 |
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1797 |
9 |
○7月からうるう7月にかけて干ばつとなる。 | ||
1798 |
10 |
大庄屋へ経常的な池の普請の監督を高松藩が委任する。 |
1798 |
本居宣長が『古事記伝』をあらわす。 |
1799 |
11 |
○秋に干ばつがおこる。 | ||
1800 |
12 |
●吉野村の岩崎平造が「天川せき」の改修を行い、藩庁(はんちょう)より、ほう賞される。 |
1800 |
伊能忠敬が蝦夷地を測量する。 |
1803 |
享保3 |
●紀伊大池(観音寺市)を改築する。 ●粟井本谷から奥谷池(観音寺市)に達する掛井手340間(612m)を開削する。 |
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1804 |
文化元 |
○6月7月に干ばつがおこる。 | ||
1806 |
3 |
○4月から6月まで大干ばつがおこる。 | ||
1809 |
6 |
○6月7月に大干ばつがおこる。 ●女池(三豊市)を築く。 ●亀越池(まんのう町)の堤防を改修する。 |
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1810 |
7 |
●大窪池(丸亀市)の堤防を5尺(1.5m)かさ上げする。 ●法印谷池(坂出市)のかさ上げおよび補強工事に着手する。 ●小津森池(丸亀市)の余水吐の改修と西堤の補強工事に着手。 ●藤高池(丸亀市)を築く。 |
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1811 |
8 |
●小津森池の改修が終わる。 ●長浜池(さぬき市)のかさ上げ工事と掛井手を付け替える。 ●柴谷潰池(さぬき市)を改修する。 |
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1813 |
10 |
○夏に干ばつとなる。 ●法印谷池(坂出市)の修築が終わり、名を「玉川池」と改める。 |
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1814 |
11 |
○5月から7月まで大干ばつ。 | ||
1815 |
12 |
●山大寺池(三木町)に土砂がたまり、ユルを改修する。 | ||
1816 |
13 |
●袂池(観音寺市)を所要人夫5万186人で改修する。 | ||
1819 |
文政2 |
●放置されていた文政池(観音寺市)を改修する。 | ||
1820 |
3 |
●満濃池の前半部の底ユルを伏せ替える。 | ||
1822 |
5 |
○5月~7月にかけて干ばつがおこる。 | ||
1823 |
6 |
○5月~7月にかけて大干ばつがおこる。 | ||
1825 |
8 |
●有馬胤滋(ありまたねしげ)が弥勒池(さぬき市)の掛井手1,450間(2.6km)の開削に着手する。 | ||
1827 |
10 |
●満濃池の後半部の底ユルを伏せ替えする。 | ||
1828 |
11 |
●弥勒池の掛井手を完成する。 | ||
1829 |
12 |
●打越下池(丸亀市)を築く。 | ||
1830 |
天保元 |
●久米衛左衛門、鎌田池掛井手を上流に延長し、坂本横井より取水する。 | ||
1831 |
2 |
●錆田池(綾川町)を改修し、名を「永富池」と改める。 | ||
1832 |
3 |
○6月、7月干ばつ、高松藩主、岩清尾神社に雨を祈る。 ●大谷池(観音寺市大野原町萩原)の掛井手を拡張する。 |
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1833 |
4 |
●男井間池(三木町)を改修する。 | ||
1835 |
6 |
●弥勒池(さぬき市)を改築する。 | ||
1837 |
8 |
●石神池(さぬき市)を改築、堤防を2間(3.6m)かさ上げする。 |
1837 |
大塩平八郎の乱が起こる。 |
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1838 |
天保の改革がおこなわれる。 | |
1849 |
嘉永2 |
●満濃池の前半部の底ユルを伏せ替え、木のユルを石のユルに改良する。 | ||
1853 |
6 |
●満濃池の後半部の底ユルの伏せ替え工事に着手する。 |
1853 |
アメリカのペリーが浦賀に来る。 |
1854 |
安政元 |
満濃池のユル替えの結果が悪く、7月9日、満濃池の堤防が決壊する。11月4日~5日、大地震が起こり、人家破損3千余戸、池の決壊7ヶ所、池の堤防大破264ヶ所。 ●奥池(坂出市川津町)を改修する。 |
1854 |
日米和親条約がむすばれる。 |
1855 |
2 |
●辻堂池(高松市)を築く。 ●軒原庄蔵(のきはらしょうぞう)の計画により、弥勒池(さぬき市)掛井手の石穴堀削に着手する。 |
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1856 |
3 |
●二股池(三木町)を改築する。 | ||
1857 |
4 |
●弥勒池(さぬき市)掛井手の石穴105間(189m)が完成する。 |
1858 |
日米修好通商条約がむすばれる。 |
1859 |
6 |
●買田池(善通寺市)をかさ上げする。この時に「内池」を築く。 | ||
1860 |
万延元 |
●奥谷池(観音寺市)の堤防を0.9mかさ上げする。 買田池(善通寺市)の堤防が大破する。 |
1860 |
桜田門外の変がおこる。 |
1862 |
文久2 |
●公渕池(高松市)の築造に着手する。 | ||
1863 |
3 |
●公渕池が完成する。奥谷池(観音寺市)の東ユルより漏水し、池尻を大破する。 | ||
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1867 |
江戸幕府がほろびる。 |
○:干ばつ
●:池及び水関連施設の築造・修復
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