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【(参考)吉野川総合開発計画】
四国を代表する吉野川は、坂東太郎(利根川)、筑紫次郎(筑後川)と並んで四国三郎と呼ばれ、全国屈指の大河川であり、豊富な水資源を有しています。
一方、四国地方は四国山地をはさんで多雨地帯と寡雨地帯に分かれ、吉野川流域及び太平洋側でしばしば大規模な洪水が発生し、瀬戸内海側では水不足に悩まされてきました。
戦後、この流域の水資源開発は、四国開発の基本的課題であり、4県が、”四国は一つ”の理念のもと四国の繁栄へ向かって調整を重ねた結果、昭和41年「吉野川総合開発計画」基本計画が合意されました。
その後、吉野川総合開発事業によって、早明浦ダムをはじめ、香川用水などの関連施設を建設し、洪水調節・発電・用水確保など、四国4県への都市用水・農業用水の安定供給によって、産業基盤の強化と生活環境の整備に貢献しています。
早明浦ダム(高知県)
吉野川(大歩危・徳島県)
【吉野川水系の水資源開発施設 拡大表示(クリック)】(PDF:374KB)
位置 | 高知県長岡郡本山町吉野(左岸) |
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流域面積 | (直接)417平方キロメートル+(間接)55平方キロメートル=472平方キロメートル |
ダムの高さ | 106m(27階建のビルに相当します。) |
ダムの長さ | 400m(新幹線約16車両と同じ長さです。) |
貯水池面積 | 約7.5平方キロメートル(甲子園球場の約195倍です。) |
ダムの体積 | 120万立方メートル |
総貯水量 | 3億1,600万立方メートル(学校のプール(420立方メートル)約75万杯分です。) |
有効貯水量 | 2億8,900万立方メートル |
工期 | 昭和38年4月~昭和53年3月 |
事業費 | 331億円 |
早明浦ダムは、吉野川水系における水資源開発の中核をなすもので、次のような目的で建設されたものです。
昭和37年7月14日 | 吉野川総合開発部会第1回部会において、吉野川総合開発計画として早明浦ダムを中核とする基本方針を確認する。 |
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昭和38年4月1日 | 建設省(現国土交通省)が早明浦ダム調査事務所を本山町に開設し、実施計画を開始。 |
昭和41年6月22日 | 吉野川総合開発部会第4回において早明浦ダム計画の最終試案 |
昭和41年7月 | 特定多目的ダム法に基づく早明浦ダム基本計画に4県が同意。 |
昭和41年11月18日 | 吉野川が水資源開発水系に指定される。 |
昭和42年3月14日 | 吉野川水系における水資源開発基本計画、閣議決定。 |
昭和42年3月24日 | 早明浦ダム建設事業に関する事業実施方針指示(建設大臣)。 |
昭和42年3月30日 | ダム本体工事に着手。 |
昭和42年4月1日 | 早明浦ダム事業を建設省より水資源開発公団(現(独)水資源機構)へ移管。早明浦ダム建設所発足。 |
昭和48年3月31日 | ダム本体工事完成。 |
昭和48年11月10日 | 竣工式。 |
昭和50年4月1日 | 水資源開発公団早明浦ダム管理所発足 |
(早明浦ダム建設事業にあたっての香川県の負担割合)
早明浦ダムの事業費は、受益者それぞれが費用負担しており、総事業費は約331億円ですが、治水分と発電分を除く利水分の事業費約109億円のうち、香川県は、約44億円負担しており、事業費における香川県の負担割合は約40%となっています。
位置 | 徳島県三好市池田町西山(左岸) |
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流域面積 | 1,904k平方メートル |
ダムの高さ | 24m(6階建のビルに相当します。) |
ダムの長さ | 247m(新幹線約10車両と同じ長さです。) |
貯水池面積 | 1.44平方キロメートル(甲子園球場の約36倍です。) |
ダムの体積 | 5.2万立方メートル |
総貯水量 | 1,265万立方メートル(学校のプール(420立方メートル)約3万杯分です。) |
有効貯水量 | 440万立方メートル |
工期 | 昭和43年9月~昭和50年3月 |
事業費 | 74億円 |
池田ダムは、次のような目的で建設されたものです。
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