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【水資源対策の歴史】
本県は、奈良時代末期から、日本でも有数の農業の盛んな地域でしたが、平安の昔、讃岐国司から朝廷に出された文書には「晴天五日を経ば水湿の潤なく、霖雨(ながあめ)二日に及べば洪水の難あり…」、また、高松藩記には「…川浅く水乏しく、常水の川一つもこれなく、…」と記されるなど、雨が少なく、長大な河川がないことから水資源に恵まれませんでした。
農業生産の拡大を図るため、満濃池の修築で知られる空海をはじめ、西嶋八兵衛、矢延平六など多くの先人達は用水の確保に全力を注ぎ、その結果、県内には数多くのため池が造られました。そして、こうして確保された水は、番水、走り水などの香川特有の水利慣行によって厳密に管理、使用されてきました。
近代に入っては、都市化の進展に伴って都市用水(水道用水、工業用水)の需要が著しく増大したため、内場ダムや府中ダムなど次々とダムを建設するとともに、農業用水においても満濃池の嵩上げなどを行い、水資源の確保に努めてきました。さらには、県民の長年の夢であった香川用水が、昭和49年5月30日に初めて通水し、本県の水事情は画期的に改善されました。
しかしながら、近年の降雨状況の変化により、毎年のように香川用水の取水制限が実施されています。特に、平成6年、17年、20年には、水源である早明浦ダムの利水貯留量がゼロとなるなど、渇水が頻発・長期化する傾向にあり、水道用水の給水制限が県民生活に影響を及ぼしていることなどから、更なる安定した水資源の確保が求められています。
こうした中、平成11年から香川用水施設緊急改築事業と県営広域水道第二次拡張事業に着手しました。この事業により、県営水道の給水先を8市5町に拡張し、水道用水の安定供給を図るとともに、渇水時などにおける水道用水の断水回避を目的とした香川用水調整池「宝山湖」が、平成21年3月に完成し、同年夏季の渇水時にはその役割を果たしました。
水資源対策の歴史
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