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公開日:2023年5月17日

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収蔵品紹介(21~)

讃岐丸(宇高連絡船)の模型と乗船記念スタンプ

宇高連絡船は、昭和63(1988)年の瀬戸大橋開通とともに、その役割を終えました。終航時には伊予丸、土佐丸、阿波丸、讃岐丸(2代)の4隻が活躍していましたが、土佐丸と讃岐丸は観光船として、しばらくの間国内で就航し、乗客に楽しい海の旅を提供しました。
宇高連絡船の中で最も新しい讃岐丸(2代)は、四国旅客鉄道(JR四国)に継承され、客室屋根の展望デッキ化などの改造工事を受け観光船として人々に親しまれていました。平成8(1996)年に退役後は、インドネシアへ渡りカーフェリーとして改造されました。

【讃岐丸の模型】観光船として活躍していた頃の讃岐丸の模型。船体塗装は国鉄時代のオリーブからJR四国のコーポレートカラーである水色に変更されている。

【讃岐丸の乗船記念スタンプ】観光船時代の讃岐丸乗船記念スタンプ。瀬戸大橋を横切る讃岐丸の姿や船の梶を切るためのハンドルである舵(だ)輪(りん)、錨のイラストが描かれている。

宇高連絡船宇高連絡船のスタンプ

702C型魚群探知機昭和時代(第26回2023.2)

魚群探知機とは、船底に設置された振動子から音波を発射し、その反射波をとらえることで、乗組員が水中の魚の群れや水深の様子を知ることができる機器である。終戦後、旧日本海軍が使用していた音響測深機を改良して開発され、漁師の間で広まった。
本資料は、太平洋北部でサンマやシャケ、マス漁を行っていた水産会社の漁船「屋島丸」で使用されたものである。日本電気株式会社(通称:NEC)製で、昭和32年3月に製造された。初期は本資料のようにロール紙に記録していたが、技術の進歩に伴い、ブラウン管や液晶モニターが導入され、現在ではタッチパネル式のものも広まっている。初期の型式を伝える本資料は、漁業や航海技術の変化を物語っている。

魚群探知機

702C型魚群探知機

陶製の醤油容器昭和時代(第25回2022.12)

現在の醤油容器といえば、樹脂やガラス、紙、缶などで製造されていますが、かつては木製樽や陶製のものが使用されてきました。陶製のものでは、江戸時代から「通(かよ)い徳利」と呼ばれる徳利型の容器が広く普及する一方、近代に入ると樽型の甕も用いられました。樽型の甕は、白い釉薬をかけ、醸造家の店名や荷印を青く染めつけています。木製の樽に比べ、湿気に強く、見た目も美しいため、飲食店などでは好んで用いられました。

 

醤油容器

 

「通い徳利」と樽型の甕

釣用ランプ(徳島県鳴門市大津町)昭和時代(第24回2022.9~10)

国指定重要有形民俗文化財

夜釣りに行くとき灯火に用いた遊魚釣のランプ。昭和のはじめに製作された市販品で、所有者は昭和47年まで使用した。ランプの脚には4つ穴があり、船上で固定できるようになっている。木製の持ち手が付いており、脚を取り外して付属の替え芯を取り付ければ、ランタンとしても使える優れものである。

 

釣用らんぷ1釣用らんぷ2

【左】釣用ランプ、【右】ランタンとして使用

 

電気扇風機昭和時代(戦前)(第23回2022.8)

夏に欠かせない電気扇風機は、19世紀後半にアメリカの発明王、トーマス・エジソンによって開発されました。わが国でも、大正時代に入ると、企業による量産化が進み、家庭や職場、鉄道車両内などで広く使われるようになりました。
本資料は、上部の銘板に「"HEALING"FAN」や「株式会社ヒーリング商會」の記載が見えます。ヒーリング商会は横浜にあったイギリスを相手とする輸入商社であり、本資料はイギリスから輸入されたものと考えられます。また銘板には「L.J.HEALING&CoLTD.LONDON(倫敦)-TOKYO(東京)-OSAKA(大阪)-DALNY(大連)」とあり、ヒーリング商会が外地を含めて、日本で広く商業を展開していたことが分かります。

 

心扇風機銘板

【右】電気扇風機【左】電気扇風機の銘板

 

喫煙具一式昭和時代(戦後)(第22回2022.7)

この喫煙セットは煙草皿・煙草入・燐寸(マッチ)入・灰皿からなる一式で、西洋帆船と波の模様をあしらっており、「秀山」の銘がある。また、皿の裏面には「MADEINOCCUPIEDJAPAN」とあることから、戦後占領下の日本で製造されたものであることがわかる。愛煙家で、戦前戦後期に地元高松の裁判所判事などを歴任された男性の所用品である。

 

タバコ

 

喫煙具一式昭和時代(戦後)

水口祭の護符(第21回2022.6)

水口祭とは、苗代に籾をまき終えると、水口(水を引き入れる口)に田の神を祭って、苗の成長を願う稲作儀礼の一つです。香川県の水口祭では、稲わらを束ねたものを水口に据え、そこにお神酒や実のなる花木、焼米などを供え、神社や寺院などからうけてきた護符を立てます。
水口に供えていた焼米は、ハタキゴメやイリゴメなどと呼ばれ、これを早く鳥が食べてくれればよいとか、これを食べると夏病みをしないなどといわれます。また子どもたちが組になって焼米を貰い歩く風習もありました。

【左】高松市仏生山町(滕神社配布)で使用されたゴオウサンと呼ばれる護符です。護符の中には、白米のほか滕神社の祭神である「稚日女命」の神札も入れられています。

【右】丸亀市垂水町(垂水神社配布)で使用されたマツノミサンと呼ばれる護符です。護符の中には、オンマツとメンマツを中に入れて供えます。これは稲にみたてて、よく育つようにとの願いが込められています。

Gohu

水口祭の護符(ゴオウサン・マツノミサン)

 

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