ここから本文です。
今から290年前、伝法川水系の蛙子池を築造したのが、当時の肥土山村(土庄町肥土山)の庄屋太田伊左衛門である。小豆島は、淡路島に次ぐ瀬戸内海第2の島であるが、雨量が少なく、そのうえ地勢が険しく、昔から用水には大変苦労を重ねてきた地域である。伊左衛門はこうした百姓たちの窮状を救おうと調査を重ねた結果、現在の蛙子池の地点を見つけ、当時の肥土山村、土庄村、渕崎村の村役や百姓たちに池築造を熱心に呼びかけようやく賛同が得られたので、その実現を図ることとなった。
出役人足の不足などもあって、工事は難航したが、伊左衛門は私財を投じ、苦心3年、貞享3年(1686年)3月に至ってようやく池が完成し、同6月15日には待望の池水が肥土山村の二宮神社境内にまで達し、百姓を喜ばせた。後、伊左衛門の大恩に報いるため、二宮神社境内に豊水分霊社を建て、伊左衛門夫妻を祭った。6月15日をその例祭日としたのは、この意義ある日にちなむものである。
創設時の蛙子池の規模については、記録がないが、11年後の元禄10年(1687年)の記録によると、貯水量7~8万トン程度の池で、現在の貯水量の約8分の1の規模と推定される。ともかく蛙子池は完成したが、その後堤防が貧弱なうえ、ゆる材料の不備などからいろいろの障害が起きた。伊左衛門はこれらの対策に大変苦労したものである。こうした心労の結果であろうか、宝永4年(1707年)、この世を去った。
このページに関するお問い合わせ