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新池(しんいけ)を見おろす高塚山(たかつかやま)には新池神社(しんいけじんじゃ)があり、矢延平六(やのべへいろく)という人がまつられています。むかしむかし、このあたりの土地は荒れ地が多く、水の便が悪く困り果てていました。これを見かねて立ち上がったのが矢延平六でした。
平六は、香東川の流れを引いてくることを考え、夜、人々に提灯を持たせ、遠く離れた所から眺めて、土地の高さを測定し、自然に水が流れる水路を考えました。
そして多くの人が力を合わせ、ついに新池という大きなため池を築きました。村の人たちの喜びは大きく、平六は村人達に心から慕われていました。
ところがここに一大事件が起こったのです。だれかが平六をねたんだのでしょうか、「平六が池を築いたのは、高松城を水攻めにするためである。」などと藩主に告げ口をする者がありました。
八月三日、平六は裸馬に乗せられ、阿波の国(現在の徳島県)に追放されてしまいました。
農民達は嘆き悲しみ行方を探しましたがわかりません。そこでそのご恩に報いるため、平六を神様としてまつりました。
旧暦の八月三日には、無事に実った農作物でおどけた姿をつくり、ため池までの道を練り歩き、最後はみんなため池の中にざぶーんと飛び込むという「ひょうげまつり」をはじめました。
「ひょうげまつり」というのは、ひょうきんなまつりという意味で、現在も続くこのお祭りは、香川県の無形文化財となっています。
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