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香川県で一番古い貯水池は、満濃池です。今から約1,300年前につくられ、その貯水量は、現在1,540万m3(立方メートル)です。
満濃池は、大宝年間(西暦701年〜西暦704年)に、讃岐の国守・道守朝臣(みちもりあそん)によって創築されたと伝えられています。しかし弘仁9年(西暦818年)に決壊、朝廷の築池使(ちくしし)・真人浜継(まひとはまつぐ)が復旧に着手しましたが、技術的困難と人手不足によって改修がならず、国守・清原夏野の発議により、弘仁12年(西暦821年)、空海が築池別当(つきいけべっとう)として派遣されました。空海が郷土入りをすると、人々は続々と集まり人手不足は解消し、唐で学んだ土木学を生かし、わずか3ヶ月足らずで周囲2里25町(約8.25km(キロメートル))面積81町歩(約81ha(ヘクタール))の大池を完成させました。
しかし、その後の洪水で決壊を繰り返し、450年の間、放置されていました。その後、寛永8年(西暦1631年)に、伊勢藤堂家家臣西島八兵衛(にしじまはちべい)※により修復されました。
参考URL:香川県農政水産部土地改良課HP
https://www.pref.kagawa.lg.jp/tochikai/about_tameike/introduction/mannouike.html
※西嶋八兵衛(にしじま はちべい)
高松藩4代藩主生駒高俊の後見人である外祖・藤堂高虎により伊勢から招かれ、治水、かんがい、ならびに干拓事業を推し進めました。西嶋八兵衛の85年の生涯で遺した幾多の事業の中でも、香東川の大改修工事は顕著であり、長く洪水の氾濫に悩んだ地域住民を救済し、今日の高松の礎を築きました。
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