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本内容については、『郷土の食べ物-島の味-』抜粋及び、小豆郡生活研究グループ、香川県むらの技能伝承士の方々にご協力いただきました。
小豆島の農村歌舞伎に欠かせないもののひとつ、「わりご弁当」です。
今風に言えば、幕の内弁当というところでしょうか。
現在、土庄町の肥土山地区、中山地区で農村歌舞伎が行われています。
古くから伝わる郷土料理「わりご弁当」の「わりご」とは、毎年5月に八幡神社の舞台で行われる農村歌舞伎を見物する際に、家族の弁当を入れて背負っていく木箱です。昔から2個1人前とされていて、何人分も木箱に納め、持ち運べるようになっています。
近年は、個人の家ではあまり作られなくなりましたが、その年の地区当番の班が、役者やお手伝いの方にと約250食分作ります。
年に一度の島歌舞伎は、親戚や友人を招き、幕間には、色よく詰め合わされた「わりご弁当」がにぎやかに食されます。
昔は、つき飯(酢、塩をつける)ことが多かった。
見栄えは勿論、腹持ちの良さが特徴です。食べるときには、木枠を持ち上げて下から一段ずつ取りだし、目盛通りに切り分けていきます。昔は一度にたくさん作り、重石をそのまま置いて、下より一段ずつ取りだし何日もかけて食べていました。
お好みで、錦糸卵や紅しょうが足赤えびを散らしても美味しい
土庄町小江地区は、漁業の盛んな地域です。新鮮な穴子がとれることから、これを使った生寿司(きずし)が長年作られてきました。
お酢でしめた穴子を使う白い穴子寿司は、夏場でも傷みにくく、室温で10日ほどの保存が可能でした。上盥いっぱいに作り、上から手で押さえて固め、食べる分だけを家族によそいます。
私が幼い頃は、祖母がたくさん作ってくれていました。砂糖控えめなぶん大人向けの、子供にとっては苦手な料理という印象がありましたが、祖父や父親は、食事時の酒のアテとして、好んで食べていたようです。
この寿司は、本来、砂糖をほとんど使わないため、食べ初めは酸味としょっぱさが強く感じられますが、噛めば噛むほど、穴子(骨ぬきせずにそのまま刻んで一緒に食べます)の骨の部分から、ほんのりと甘みが感じられ、素朴なおいしさが味わえます。
各家庭で当たり前のように作られている「おまぜ」は、旬の具材を使って辛めに煮付け、汁気をとって、炊きたてご飯に和える小豆島の郷土料理です。
周囲を海で囲まれた小豆島では、山と海の食材が豊富で、春はフキやタケノコ、サツマイモの茎などを食材に使っていました。近年は鶏肉を使うことも多いのですが、昔は、肉は使わないか、代わりに、するめや穴子などを加えることも多かったようです。
おまぜは、一度具材と混ぜると日持ちしませんが、時間のあるときに、具を多めに作っておけば、具だけを冷凍保存することは可能です。親族や集落の寄り合いなどで大勢が集まることの多い農村では、裏方で働く女性たちにとって、料理の時間がないときにも、簡単に人数分の料理に対応でき、見た目にも華やかな「かきまぜ(おまぜ)」は重宝されてきました。
(※)当時、井戸は自然の冷蔵庫でした。腐りやすい麦ごはんを吊り下げたり、冷たいのがご馳走のスイカやラムネも冷やしました。
小豆島では、虫送りや法事の手伝い、気のおけない同士の集まりで内々で食べるそうめん(うどん)を「千本ばし」と呼びました。にゅう鉢や上だらいに、夏なら井戸水、冬なら湯を張って浮かせ、四方八方から、食べ手の箸が伸びるので『千本ばし』です。
互いにはさんだ麺がつながっていたりすることもあり、流行りのたらいうどんの元祖といったところ。
当時の「だし」には、大豆を使いました。たんぱく質を多く含む大豆は、旨みと甘味を存分に持っています。食べる折は、大豆も共に猪口に入れて食べます。炭水化物の麺にたんぱく質の大豆を添えるのは、今の栄養学的にも納得です。
近年は、二時間かけて大豆をゆでるようなことは少なくなりましたが、讃岐では、今でも、法事や人寄せのうどんは、四季を問わず「湯だめ」のもてなしです。ぬくめたうどん玉を浅いうどん鉢に入れて湯を張り、猪口のだしをそえていただきます。
前日の夕方、河原を清掃し、石を集めて、直径50cm、高さ40cm程度のかまどを作ります。下ごしらえも前日に行います。
8月14日早朝、川原に作ったかまどで五目ご飯を炊き、柿の葉12枚(うるう年は13枚)に盛って無縁仏に供えてから、帰省してきた家族も混じえて食事をします。この五目飯を食べれば夏ばてしないとも言われています。
昔は、お盆が来ると先祖の霊だけではなく、成仏できない人の霊も人里に訪れると信じられていました。そうした霊を、戸外や河原で臨時のかまどを築いて、ご飯を炊いて供えもてなすための行事です。
「川めし」、「川施餓鬼(かわせがき)」、「かわらけめし」、「ぼんくど」ともいわれ、このご飯を食べると夏負けしないと言われてきました。
かつては県内各地で行われており、小豆島では最近まで盛んに行われていました。特に、現在の小豆島町の「内海町餓鬼めし」は有名で、今でも、小豆島の寒霞渓のふもとを流れる別当川の河原に、無縁仏を供養するために集まり、一家総出で精進の五目飯を食べるこの行事が続けられています。
(昭和51年3月小豆島町指定無形民俗文化財)
刻んだ昆布を加えて炊くと、だしの味がお茶とよく合い、彩りも良くなります。
本来の茶飯は、古くは、奈良の東大寺や興福寺の寺領から納められる上茶を煎じて、初煎と再煎に分け、再煎の茶に塩味をつけて米を炊き、ご飯を蒸らした後に、初煎の濃い茶に浸けて食べたと伝えられています。
小豆島は、400年の伝統をもつ醤油製造の産地です。海上運輸の要所でもあり、醤油作りにかかせない良質な大豆が、船で大量に運ばれ、また、栽培も行われてきました。島で栽培される大豆は、蔓を畑に這わすのが特徴です。手間がかからず、病害虫にも強いことから、味噌作りや大豆料理が、地域で広がりました。家庭では「豆茶飯」「煎り豆の茶飯」とも呼ばれて親しまれています。
近年、お茶の生理的効用や、大豆のイソフラボンなどが注目されました。温かなごはんに、刻んだ煎茶と柔らかくゆでた大豆を混ぜるお手軽な茶飯ですが、ほうろくで薄く焦げ目がつく程度に煎った大豆と、爽やかなお茶の香りが食欲をそそってくれる料理です。
「イギス」という暗紫色をした海藻を使った料理です。瀬戸内海の島々や海辺に住む人々の郷土食として知られ、現在も土庄町の四海地区や小豆島町の三都半島など一部の漁村で伝承されています。テングサを使うトコロテンに似ていますが、海藻を全て煮溶かすところが異なります。
イギスは、米のぬか汁や大豆のゆで汁を用いて煮溶かします。トコロテンに比べ多くの海藻が必要です。煮溶かしてそのまま冷まし固めたり、具やだし汁で味付けて固めたものを、辛子や酢味噌、酢醤油でいただきます。
古くから、小魚や海藻は手軽に食べられる大切な栄養源であったようです。
手間と経験の必要なこの料理は、大事な家族やお客への一品、仏事やちょっとした行事、来客のもてなしに欠かせない料理として伝承されてきました。
海藻であるイギスは、大潮の干潮線からそれよりやや深いところに分布し、岩に生えた他の短い海藻に付着して生長します。また、波などで岩から離れた後も、転石の間などで生長します。採取に適した時期は7~8月の夏季(お盆くらいまで)ですが、遅くなると他の動植物が多く付着し、後々の加工に手間がかかります。
(例)砂糖大さじ3、塩小さじ1、醤油大さじ3、本だし小さじ1、みりん大さじ3、油少々
採取したイギスは、夏の強い日差しですぐに乾燥させます。乾燥が不十分だと腐らせてしまいます。
さらに雑藻などを取り除きながら水洗いと天日乾燥を3~4回繰り返し、クリーム色になったものを保存します。
テングサに比べ手間がかかり、雑藻を取り除くごとに量が減っていくこと等から「貧乏草」と呼ぶ地域もあります。
晩春から夏にかけて食卓にのぼる蕗は、湿地や水辺の木陰で育った長いものが柔らかく上質です。
周りを海に囲まれる小豆島では、山の幸(蕗)と海の幸(貝)を使った保存料理が伝えられています。ふきは、アクが少なく、また、佃煮にする時も、筋をとらない方が食感の良い佃煮になるなど、手間のいらない料理です。
繊維質が豊富でビタミンやミネラル、カロチンが含まれています。
(*1)
*良い天気の日なら、2時間ほどで裏返す。
*ワカメの芯を裂いて、1枚のワカメを2枚にする。
*日が暮れてからワカメを取り込み、もう1日干す。(葉の部分は先に乾くが、芯が充分に乾いていないので)
*2日目は、芯を干すだけ。筵にワカメを集め、1日1回裏返す程度で干しあがる。
灰乾ワカメは、ワカメを灰にまぶして乾燥し、更に水洗いして灰を洗い落とし、乾燥したもの。
市場には「鳴門わかめ」の名で出ているものが多い。
*この製法でできた品は何年置いても変色せず保存できる。
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