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香川県には、国の伝統的工芸品となっている「香川漆器」(S51.2.26指定、蒟醤・彫漆、存清、後藤塗、象谷塗の5技法)や「丸亀うちわ」(H9.5.14指定、竹うちわ)をはじめ、数多くの伝統的工芸品があり、県では昭和60年に伝統的工芸品の指定制度を設け、現在、37品目を指定しています。
・庵治産地石製品 実演者:太田 政治郎 氏(外部サイトへリンク)
・香川漆器 実演者:松本 光太 氏(外部サイトへリンク)
・丸亀うちわ 実演者:西条 久 氏(外部サイトへリンク)
香川漆器 志度桐下駄 讃岐一刀彫 讃岐提灯 高松和傘 丸亀うちわ 香川竹細工 香西焼(平成3年度指定解除) 御厩焼(平成16年度指定解除) 理平焼き(平成4年度指定解除、平成25年度再指定) 神懸焼 讃岐装飾瓦 豊島石灯籠 庵治産地石製品 焼印(平成11年度指定解除) 保多織 讃岐獅子頭 有明線香(平成6年度指定解除) 節句人形 高松張子 高松嫁入人形 張子虎 市松人形(平成3年度指定解除)
一貫張・一閑張 岡本焼 鷲ノ山石工品 打出し銅器 讃岐鋳造品 讃岐のり染 手描き鯉のぼり
讃岐桶樽 古式畳 讃岐鍛冶製品 金糸銀糸装飾刺繍 手描き讃岐絵凧(平成17年度指定解除) 讃岐かがり手まり
香川県伝統的工芸品の指定及び香川県伝統工芸士の認定等状況(平成17年度以降)(PDF:165KB)
伝統的工芸品 | 解説 | 香川県伝統工芸士 |
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香川漆器〔かがわしっき〕高松ほか |
江戸時代に高松藩主である松平家が、茶道・書道に付随して振興・保護したのが始まりです。江戸後期には、香川漆器の始祖と言われる玉楮象谷(たまかじぞうこく)が、中国伝来の漆技法に独自の技を加えて新しい手法を創案。現在まで受け継がれ、蒟醤、存清、彫漆、象谷塗、後藤塗の5つの技法は、国の伝統的工芸品に指定されています。 |
西岡昭尚(高松市) 岡田哲吉(高松市) 西岡喜三夫(三豊市) 旭幸延(高松市) 遠藤勝(高松市) 長尾義明(綾川町) 佐々木賢治(高松市) 大江準治(高松市) 中村正勝(さぬき市) 鶴見政彦(高松市) 山本務(高松市) 豊島茂(高松市) 三木均(高松市) 遠藤八栄子(東かがわ市) 額田真幸(高松市) 中田可奈子(高松市) 間島英二(高松市) 松本光太(高松市) |
讃岐桶樽〔さぬきおけだる〕三木、綾川 |
古くは、桶はヒノキの薄板を曲げて桜や樺の皮で閉じ底をつけた曲物でした。現在のように細長い板を円筒形に並べてタガで締め、底板を入れた構造になったのは、室町時代から。桶に蓋をつけたのが樽です。生活の器として受け継がれてきた香川の桶樽は、主に杉や椹(さわら)の木で作られ、現在も、寿司桶・御櫃・杓などが、多くの人に愛用されています。 | 能祖稜一(綾川町) 谷川雅則(三木町) 谷川典子(三木町) 田中祐太(綾川町) |
欄間彫刻〔らんまちょうこく〕高松、観音寺ほか |
通風や採光のための欄間に彫刻を施した欄間彫刻は、寺院・神社・書院造りに取り入れられ、桃山時代から江戸中期に最も栄え、後に一般家庭にも普及しました。香川県には、高松藩主・松平頼重を慕ってきた飛騨の木工職人によって伝えられたと言われます。木目を活かし、室内に日本の花鳥風月を取り入れた様は、伝統の風格を感じさせます。 | 川人三郎(観音寺市) 北山静雄(三木町) 小比賀正(高松市) 長尾武美(丸亀市) 山本忠重(高松市) 朝倉準一(高松市) |
組手障子〔くでしょうじ〕高松ほか |
日本建築の室内で、柔らかい光を通しながら、間仕切りの役割を果たす障子は、鎌倉時代に作られ始めたと言われています。組手(くで)とは、障子の格子の模様を手作業で組み上げていく技法のことです。現在、障子は建具店で作られますが、細かい作業を要する組手細工の部分は、技術を持つ職人が作っています。 | 森常隆(高松市) 和泉八郎(高松市) 生島直樹(高松市) 大井淳一(高松市) 林勇(高松市) 入船博文(高松市) 森本隆(高松市) 岡野悟史(高松市) 津賀喜男(高松市) |
肥松木工品〔こえまつもっこうひん〕高松 |
肥松とは、樹齢数百年の老松の幹の中心部分のこと。気候が温暖で雨の少ない香川では、昔から良質のものがとれ、江戸時代から木工品が作られています。脂分を多く含むため光沢があり、光にかざすと赤く透けます。木目にも変化があるため、彩色を施さず自然の木地のまま仕上げます。年月を経るほどに、さらに艶が出て美しい赤茶色に変化するのも特徴です。 | 山田恭敬(高松市) 有岡良員(高松市) |
志度桐下駄〔しどきりげた〕さぬき |
さぬき市の志度では、明治40年に近隣の需要をまかまうために桐下駄を作り始め、大正初期に量産がスタート。現在は全国に誇る産地となっています。熟練の職人技で、約40もの工程を経て作られる桐下駄は、木肌の温もりと粋を感じさせてくれます。 | 吉井賢治(高松市) 山西就治(さぬき市) |
讃岐一刀彫〔さぬきいっとうぼり〕琴平、まんのうほか |
肥松や楠に、大胆さと繊細さが調和したノミの刃跡を活かして仕上げる讃岐一刀彫。天保8年(1837年)、金刀比羅宮の旭社建立時に、全国から集まった宮大工が、彫の腕を競い合ったのが始まりと言われます。その技術が明治30年ころに開校された琴平工業徒弟学校の彫刻科にも伝承され、こんぴら参りの土産品として広まりました。 | 平田正一(琴平町) 細谷一男(まんのう町) 大西義高(琴平町) 奥田義明(琴平町) 上野俊之(琴平町) 野田栄広(琴平町) 造田一夫(琴平町) 上野勲(琴平町) 嵯峨山登志雄(琴平町) 尾後英幸(琴平町) 山中竹志(琴平町) 嵯峨山和徳(琴平町) 國重義和(丸亀市) |
桐箱〔きりばこ〕高松、琴平 |
防湿効果があるため、古くから寺社仏閣の宝物箱として重宝され、茶器や陶器入れとして庶民の生活にも浸透してきました。木目が美しく光沢があることから、現在では贈答品の入れ物としても広く使われています。箪笥など大きなものにも仕立てられる桐は、温かみのある軽く柔らかい材質で、使うほどに飴色に変化することも魅力です。 | 道久常夫(琴平町) 真鍋義昌(高松市) 浜本孝志(高松市) |
菓子木型〔かしきがた〕高松 |
四季の自然や動植物を芸術的に表現する和菓子は、砂糖や餡などの材料を、菓子とは左右、凹凸を逆に彫った木型に詰めて成形します。繊細な形づくりの要になる菓子木型づくりには熟練した職人技が要求されるため、近年では、木型そのものが工芸品として珍重されています。香川では明治30年頃から作られ始め、その技術が伝えられています。 | 市原吉博(高松市) |
讃岐提灯〔さぬきちょうちん〕高松 |
讃岐提灯は、香川県独特の秘伝一本掛けの技で竹ひごご変幻自在に操り、提灯と提灯を組み合わせて製作します。弘法大師が、中国から千二百年前に四国八十八箇所の奉納提灯として伝承したとされ、他県にない一子相伝の技が受け継がれてきました。この智恵のある技法により、全国のあらゆる伝統的な提灯も製作復元でき、讃岐うどん・龍・サンタクロース等の新しい明りの世界も開拓。現在では、「明りの彫刻」として高い評価を受けています。 |
三好正信(高松市) 三好正行(高松市) 三好年也(高松市) |
高松和傘〔たかまつわがさ〕高松 |
高松特産の手すき和紙と、塩江などの山間部で豊富にとれる竹材を使い、明治20年に岐阜産の日傘を参考に作られ始めた高松和傘。日本舞踊に使う舞傘や観光土産などとして、根強い人気があります。蛇の目や渦巻き、藤流れなどの伝統的図柄に加え、現代的デザインも多彩。ひとつひとつ、手作りならではの存在感を楽しめます。 | 三好寛明(高松市) 三好澄子(高松市) |
一閑張・一貫張〔いっかんばり・いっかんばり〕坂出、丸亀 |
木や竹で作った木地に和紙を張り重ね、柿渋を塗る一閑張(一貫張)は、江戸時代に明国から帰化した塗師・飛来一閑が創案したと言われています。防水効果がある柿渋は、耐久性を高めるだけでなく、独特の風合いも醸し出しています。かごや皿などの小物から家具まで、製品は多彩。丸亀うちわにも、この技法が用いられています。 | 宇野雄三(坂出市) |
丸亀うちわ〔まるがめうちわ〕丸亀 |
江戸時代、こんぴら参りの土産品として、「金」の文字入りのうちわが全国に広まったのが始まりです。当時は、男竹と呼ばれる太い竹を使った柄の丸いものでした。後に細い女竹丸柄うちわや男竹平柄うちわが丸亀の地場産業となり、各地のうちわと融合して現在の丸亀うちわが出来上がります。現在では日本の9割が生産され、国の伝統的工芸品に指定されています。 | 西本多喜男(丸亀市) 長戸幸男(丸亀市) 荒川和子(多度津町) 三谷順子(丸亀市) 浅野貴徳(三豊市) 大林正春(丸亀市) 川田久子(坂出市) 中田元司(三豊市) 長谷川秋義(丸亀市) 兵頭恵子(丸亀市) 西条久(丸亀市) |
香川竹細工〔かがわたけざいく〕さぬき |
竹のしなやかさを生かし、細かく裂いたものを編みあげていく竹細工。繊細で美しい網目を作りながら全体の形も美しく整えていく、職人技が光る逸品です。丈夫な上に、天然素材ならではのぬくもりある風合いも魅力。用と美を兼ね備えた暮らしの道具として、古くから活用され、今に受け継がれています。 | 白井敏隆(さぬき市) |
竹一刀彫〔たけいっとうぼり〕三木 |
讃岐の竹彫は、香川漆器の始祖である玉楮象谷が確立した「讃岐彫」が起源といわれ、煎茶が盛んな時代には、茶合や線香筒が作られました。厳選した竹を使い、色付けしたり、漆を塗ったり。古竹を使うこともあります。丸みがあり、繊維が多いので、難しい竹彫ですが、驚くほど細かな描写で、竹の持つ優しさと強さが生かされています。 | 西村文男(三木町) |
古式畳〔こしきだたみ〕高松ほか |
畳は、古くは、重ねたり折ったりできる薄手の座具でした。その後、次第に厚みのあるものとなり、公家や武家、寺社などが格式ある空間づくりに用いたのが古式畳です。四角、六角、八角、丸型など形も様々なものがあり、雅やかな柄生地を使い、縁取りされているのも大きな特徴です。現代の生活に取り入れやすい製品も数多く作られています。 | 飯沼博(高松市) 黒田幸一(さぬき市) 山下光一(高松市) 田中正明(さぬき市) 田所昌(琴平町) 山下明宏(高松市) 山口晃平(高松市) |
神懸焼〔かんかけやき〕小豆島 |
小豆島の観光地、寒霞渓にちなみ、明治8年ごろ生まれた焼き物です。地元でとれる粘り気の少ない土を使うため、ひも状に長くのばし、ぐるぐる巻きながら形を整える「ひもづくり」の技法で形成されます。ぐい飲み、湯のみ、茶器、花器など、茶道具を中心に、生活に密着した品々が作られています。 | - |
岡本焼〔おかもとやき〕三豊 |
農家の副業として発展してきた岡本焼は、土本来の温かな色や肌触りが魅力の素朴な生活用具。三豊市の岡本地区でとれる良質な粘土が使用されています。「ほうろく」と呼ばれる土釜のほは、鍋や豆炒り瓦など、用途も庶民派。かつては「ほうろく売り」という行商が県外まで売り歩いていました。 | - |
理平焼〔りへいやき〕高松 |
初代高松藩主の松平頼重が、都の陶工、森島作兵衛を呼び寄せて焼かせたのが始まりとされています。現在の栗林公園の北門近くに窯を築き、藩の焼物として代々受け継がれてきましたが、明治以降は、一般向けの窯となりました。季節感にあふれ、郷土色豊かな絵付けがされた茶道具や花器が作られ。珍重されています。 | 紀太洋子(高松市) |
讃岐装飾瓦〔さぬきそうしょくがわら〕三木、三豊 |
香川では、奈良時代から盛んに瓦が製造されており、各時代の窯跡も数多く発掘されています。建築様式が変化するにつれ、瓦も多様化。魔除けとして配置られる鬼瓦のほか、装飾瓦やいぶし瓦など種類豊富で、動物や縁起ものなど、デザインも多彩です。近年では、鬼瓦が底についたどんぶりなども作られ、土産品として人気です。 | 神内俊二(三木町) |
豊島石灯籠〔てしまいしどうろう〕土庄 |
小豆島の西にある豊島。中央部の壇山からは、良質な角礫凝灰石(かくれきぎょうかいせき)が切り出され、豊島石と呼ばれて、古くは鎌倉時代から、灯籠の原石として全国へ運ばれました。軟らかいのでノミやゲンノウを使った手作業の加工が可能。京都の桂離宮や二条城、大阪の住吉神社にある灯籠も豊島石でできています。 | - |
庵治産地石製品〔あじさんちいしせいひん〕高松 |
高松市の東部に位置する五剣山の麓、牟礼町、庵治町で採掘される良質な花崗岩は「庵治石」と呼ばれます。採石の歴史は、遠く平安時代にまでさかのぼり、江戸時代に高松藩の御用丁場となったことから急速に発達しました。彫刻家イサムノグチに絶賛されたことで世界的にも高い評価を得て、現在も200社あまりの業者が軒を連ねます。 | 岩田一輝(高松市)森岡量基(高松市)村井重友(高松市)白井文雄(高松市)和泉良照(高松市)溝渕清美(高松市)白井保浩(高松市)村川健一(高松市)岡田憲一(高松市)坂本英之(高松市)藤野収茂(高松市)千原喬(高松市)神野淳平(高松市)落合賢(高松市)山田浩之(高松市)木村剛史(高松市)尾野長伸(高松市)岡﨑公次(高松市)伏見英夫(高松市)村井一信(高松市)太田政治郎(高松市) |
鷲ノ山石工品〔わしのやませっこうひん〕高松 |
高松市国分寺町の南部に位置する鷲ノ山は、良質な角閃安山岩(かくせんあんざんがん)でできており、古くから石材の産地でした。古墳時代には、石舟地区で石棺を製造。明治から産業としての加工が発達し、現在も石材業者があります。軟らかく、加工しやすい石質を利用して、灯籠や彫刻物、墓石など、多様な製品が作られています。 | 兎子尾大(高松市) 河田浩彦(高松市) |
打出し銅器〔うちだしどうき〕高松 |
銅板に熱を加え、木槌や金槌でたたいて形をつくる技法が、打ち出し。何度も繰り返したたき、人の手のみで仕上げます。銅は熱伝導が優れているため、釜、やかん、卵焼き器などの調理具にも適します。打出しで作ると地金がしまり、丈夫で長持ちするのも特徴。独特の落ち着いた色合いは、使うほどに味わいが増します。 | - |
左官鏝〔さかんごて〕高松 |
全国でも高い品質を誇り、使いやすさに定評がある香川の左官鏝。古くは自然の木材をを加工して作られた木や竹の鏝でしたが、現在は、島根県産の安木鋼を使用し、焼き入れを繰り返してひとつひとつ丁寧に製造されます。大きさや形にも細かな工夫がされており、用途によって使い分けられています。 | 植松輝義(高松市) 中村照則(高松市) |
讃岐鍛冶製品〔さぬきかじせいひん〕観音寺 |
讃岐における鍛冶業の歴史は古く、古文献にも鍛冶職人の記述が見られます。高松市の鍛冶屋町や観音寺の茂木町は、鍛冶業が免許制となった江戸時代、職人が集まった土地として知られています。包丁や鉈などの刃物類、すきやくわなどの農具を、鎚でひと打ちひと打ち手作りする光景が、香川には今も残っています。 | - |
讃岐鋳造品〔さぬきちゅうぞうひん〕高松、三豊 |
手浮造りの原型に溶かした金属を流し込み、成形して着色。一貫して鋳物師(いもじ)が携わり、仏像や梵鐘などから器や土産物まで、幅広い製品が作られています。秋祭りの獅子舞に使われる鉦(かね)も、伝統的な鋳造製品です。三豊市山本町には鋳物師辻と呼ばれる集落があり、伝統の技が代々継承されています。 | 多田豊(高松市) 阿部敬司(高松市) |
保多織〔ぼたおり〕高松 |
碁盤の目のように織るので独特の風合いがあり、保温性・吸水性に富む織物です。江戸時代に高松藩主・松平頼重に命ぜられた京都の織物師・北川伊兵衛常吉が創案。藩の織物として、明治までは技法が秘密にされていました。丈夫で長く使え、「多年を保つ」ので、この名がついたと言われ、おめでたいものとして贈答品にも用いられます。 | 岩部卓雄(高松市) 松本悦子(高松市) |
讃岐のり染〔さぬきのりぞめ〕高松、琴平、観音寺 |
もち米で作られた防染のための糊を、筒描きや型紙で図柄に沿って置いてから、藍がめにつけたり、刷毛で引染めたりして、仕上げます。江戸時代、高松城下の紺屋町は染物屋が軒を連ね、藍染めを中心に野良着や着物が作られました。その技法は今に受け継がれ、のれん、旗、獅子舞のゆたん(獅子の胴布)や、暮らしで使える雑貨なども作られています。 | 大川原静雄(高松市) 大川原誠人(高松市) 大野等(琴平町) |
讃岐獅子頭〔さぬきししがしら〕高松、善通寺、三豊 |
香川は全国でも獅子舞の盛んな地域です。神社の祭礼に使われる獅子頭は、応神天皇の時代に中国から渡来し、奈良時代に伎楽面となったものに由来すると言われます。香川の獅子頭は、顎、耳、取っ手など一部を除き、張子の手法が使われています。粘土の型に和紙を張り合わせ、型抜きをした後、胡粉や漆で素地を作り装飾を施します。軽量で丈夫な乾漆作りが大きな特徴です。 | 宮武悟(高松市) 秋山賢二(善通寺市) |
手描き鯉のぼり〔てがきこいのぼり〕坂出 |
五月の薫風を腹一杯にはらみ青空の下を泳ぐ鯉のぼりは、初夏の風物詩。端午の節句は、中国から伝わったとされます。「鯉は龍に化す」という故事を受け、江戸時代から、男の子の健やかな成長を願う鯉のぼりを掲げるようになったと言われます。和紙に色づけされた風情あふれる手描きの技が受け継がれており、現在は卓上用のものもあります。 | - |
金糸銀糸装飾刺繍〔きんしぎんしそうしょくししゅう〕観音寺 | 日本の刺繍の技法は、飛鳥時代に仏教の伝来とともに中国よりもたらされたと言われます。その後、貴族や武家、一般庶民にも広まり、衣装やふくさなどの生活用品、祭礼用具などにもその技法が用いられるようになりました。香川県の中・西讃地方の祭りに登場するちょうさ(太鼓台)飾りの金糸銀糸の装飾刺繍は、他に類を見ない豪華さで知られています。 | 石川稔(観音寺市) |
節句人形〔せっくにんぎょう〕三豊、観音寺 |
節句人形は、江戸時代より作られているものです。子どもたちの安らかな成長を願って、全国各地で節句の行事が行われてきました。香川では、3月にひな節句、5月の端午の節句、中・西讃地方には旧暦の8月1日の八朔に馬節句を行う風習もあります。こうした祝事に欠かせないものとして、熟練した職人が約200にも及ぶ工程を経て仕上げています。 | - |
高松張子〔たかまつはりこ〕高松 |
高松市の鍛冶屋町では、昔からデコ(人形)作りが盛んでした。その一つ、粘土や木の型に和紙を張り重ねて作ったものが張子と呼ばれ、江戸時代、松平頼重が讃岐高松藩に入る際に製法が伝えられたとされています。重病のお姫様の病気を自分にうつし島に流されて亡くなった「おマキさん」の伝説にちなんだ「奉公さん」は、ほのぼのとした表情で、多くの人に愛されています。 | 乃村七重(高松市) 臼井融(高松市) |
高松嫁入人形〔たかまつよめいりにんぎょう〕高松 |
高松市には古くより、婚礼の際に花嫁が近隣に人形を配る風習があり、練り物による人形が作られてきました。様々な型に原土をつめて型取りし、地塗りと彩色を施して仕上げるもので、娘の幸せを願う親の心が込められた縁起物が数多くあります。今日ではこのような風習は見られなくなりましたが、高松の伝統的な郷土玩具として受け継がれています。 | - |
張子虎〔はりこどら〕三豊 |
張子虎は、中国の虎王崇拝が日本に伝わり、作り始められたと言われています。虎の武勇にちなんで子どもの健やかな成長を願い、端午の節句、八朔祭などに飾られてきました。一つずつ手作業で作るため、完成品は全て違う表情です。ピンと張ったヒゲやゆらゆらとゆれる振子式の首など、ユーモラスな姿は商売繁盛の縁起物としても喜ばれています。 | 田井艶子(三豊市) |
讃岐かがり手まり〔さぬきかがりてまり〕高松ほか |
手まりは、平安時代に中国より伝えられたと言われており、子供の遊び道具として愛され、時代を経るうちに我が国独特の美しい文様が考案されました。香川の手まりは、讃岐三白(塩、砂糖、綿)のひとつ、綿の糸を草木染めし、ひと針ひと針かがりながら、艶やかな幾何学模様を描き出します。現在では天然香料入りのまりなども作られています。 | 森靖子(観音寺市) 山本泰江(観音寺市) 荒木永子(高松市) 曽川満里子(三豊市) 古澤喜久子(高松市) 寄能由香里(三豊市) 植田幸子(三木町) 溝淵友恵(高松市) |
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