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その昔、“大野原は月夜にも焼ける”と言われ、江戸時代以前は土地が高燥で一面の原野でした。大正時代の二度の大干ばつを契機に近代式ため池の必要性が高まり、豊稔池築造計画が立ち上がりました。工学博士の佐野藤次郎氏の指導のもと大正15年(1926年)に着工し、県の直営工事として実施され、地元の受益農家を中心に構成された作業班により、わずか3年8ヶ月の間に堤長128メートル、堤高30.4メートルの石積みダムが完成しました。
当時、ダム建築の最新技術であるマルチプルアーチ構造を採用し、中世ヨーロッパの古城を偲ばせる偉容と風格を漂わせる豊稔池は、景観的にも学術的にも随所に斬新な設計を取り入れ、特に洪水吐は、サイフォン式を導入し、洪水が堰堤天端を15cm超えると自動的にサイフォンが機能して、堤頂部からの越流と合わせて洪水を勢いよく堰堤下流に放流する仕組みとなっています。
その構造は現在でも高く評価され、平成18年(2006年)に国の重要文化財に指定されました。
サイフォンからの放水
昭和の築堤工事状況(豊稔池土地改良区 蔵)
豊稔池は、貯水量159万立法メートルを擁し、柞田川(くにたがわ)西岸に広がる約500ヘクタールの水田を潤し、今や大野原は全国有数のレタス産地となっています。県下の主要なため池はゆるぬきの日程が決まっていますが、豊稔池の場合は一滴の水も無駄にしないという農家の強い意志から下流の井関池の貯水量との調整を図るため、毎年7月中旬から下旬に行われています。地上約20メートルにある1番樋から放たれる放水ショーは地域の風物詩となっており、毎年多くの見物客が訪れています。
豊稔池は、築造後半世紀余りを経過し、昭和50年代後半には堤体にクラック(ひび割れ)が入り、漏水が目立つようになったことから、本格的な補修工事が必要となり、昭和61年(1986年)に「ため池等整備事業」として採択されました。採択後、中国四国農政局における「県営ダム技術検討委員会」で工法等について種々検討される中、新しく制度化された農地防災ダム事業「防災ため池工事」に変更することとなり、昭和63年(1988年)「防災ため池工事」として採択され、工事期間が僅か5か年間と短期間で平成5年(1993年)に完成しました。
また、合わせて豊稔池周辺の緑豊かな自然や水辺空間を活用した利活用保全施設整備工事を平成5年及び6年度の2か年間で実施しました。
集水面積 | 8.0平方キロメートル | 堤体積 | 39.5千立法メートル | |
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満水面積 | 15.1ヘクタール | 洪水吐 | Q=78立法メートル毎秒 | |
総貯水量 | 1,643千立法メートル | 堤頂堰 | Q=46立法メートル毎秒(4ヶ所) | |
有効貯水量 | 1,593千立法メートル | サイフォン式 | Q=32立法メートル毎秒(5ヶ所) | |
堤体 | マルチプルアーチダム | 取水施設 | スルースゲートφ600 1門 | |
堤高 | 30.4メートル | スルースバルブφ600 2門 | ||
堤長 | 128.0メートル | 土砂吐 | スルースゲートφ1,200 1門 |
豊稔池をはじめとするため池、香川用水の完成に伴う吉野川の導水の恩恵を受け、現在、これら地域は、ほ場整備の先進地として近代的な農業が営まれており、米、野菜、いちごやトマトなどのハウス園芸、果樹等を組み合わせた複合農業経営を中心とした生産性の高い集約型農業地域です。
特にブランド名「らりるれレタス」として全国にその名を知られるレタスや玉ねぎは、東京市場や京阪神市場を中心に全国の市場へ出荷されており、本県の野菜の主産地を形成する西讃地域の中でも、その中核を成す地域です。
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