ホーム > Kagawaトピックス > ヒト×モノ 讃岐デザイン 讃岐の風土のように温かく迎える椅子でありたい「woodworks 五坐 奥田 芳樹」

ページID:20196

公開日:2021年1月4日

ここから本文です。

メイン画像

ヒト×モノ 讃岐デザイン 讃岐の風土のように温かく迎える椅子でありたい「woodworks 五坐 奥田 芳樹」

香川の魅力

目次

讃岐の風土のように温かく迎える椅子でありたい

高松市牟礼町大町には、世界的な家具デザイナー、ジョージ ナカシマの記念館がある。
記念館を開設し、ナカシマの家具を製作し続けている桜製作所の椅子を見て、家具づくりを志したのが、同じ町に工房を構える奥田芳樹氏。
海が見える工房を訪ね話を伺った。

アームチェア

 

「五坐」は舞鶴の実家の屋号。日本海から瀬戸内海に移り住み穏やかな風土に驚いたという。形にこだわるアームチェアは、香川に来て丸みを帯び、さらに優しい座り心地で人々を癒やす。

テーブル

 

ボード

靴入れ

ボードやテーブルなどは客に見せるためのサンプルとして10分の1スケールのミニチュア家具を作成するが、大半は切望され客の手元に置くことになる。

 

奥田氏は京都府舞鶴市で生まれ京都市内の大学を卒業後、憧れを抱いて新聞記者になった。しかし、自分の進むべき道として違和感を覚えるようになった頃、妻の実家がある牟礼町大町で桜製作所の椅子と出合う。これが奥田氏を家具の世界に誘引した。


会社を辞め1年間学んだのは岐阜県立高山高等技能専門校、現在の木工芸術スクールである。飛騨高山では和・洋さまざまな家具づくりが盛んで、専門校でも実に多彩なデザインを学んだという。中でも最も刺激を受けたのは北欧のデザインだ。機能美を追求し、過度な装飾を付けない姿勢に共感した。卒業後はより多くの可能性を模索したいと、建具会社で3年間修行した後、飛騨家具づくりの企業に入社。基本をマスターし3年後に独立。2度の個展を開催し、自分一人で作り上げる意思を固めた。


当時の椅子を残してあるが「これと同じ物は二度と作らない」と奥田氏は断言する。「作り手のわがままを凝縮したようなデザインで、これでは座面が長く持たない」というのだ。それでも、基本のデザインは初期モデルを継承し続けている。


もちろん大型家具も作るが、奥田氏には生涯を通して椅子を作り続けたいと思わせるエピソードがあった。香川で開催した個展を訪れた老婦人が、「これが私の人生最後の買い物だから」と椅子を求めてくれた。納品に訪れた自宅は、どちらかといえばつつましい暮らしぶり。奥田氏は彼女が最後の買い物として自分の椅子を選んでくれたありがたさをかみしめ、その言葉を大切に受け止めた。おそらく、この椅子で食事をし、テレビを見、あるいは読書をし、一日の大半を過ごすのであろう。「椅子」が担う役目の素晴らしさを彼女からあらためて教わったのだ。


独立の2年後、香川県に工房を移した。そして十数年、義理の両親をはじめ讃岐の人情や風土の温かさ、優しさが身に染みたという。「香川に来て、いつの間にかデザインが丸くなりました」と肘掛けをなぞりながら奥田氏は目を細める。人々との出会いから地元で開催されたアートイベント「源平の里アートビレッジ」や東かがわ市を舞台として各分野の作家たちが共演する「フィールドミュージアムSA・NU・KI」にも参加してきた。


そこに生まれた絆に支えられ、刺激を受け、奥田氏にしか作れないシンプルで優しい椅子を追求する日々である。

ルームディバイダー
個展のために制作したルームディバイダー。讃岐の建具職人の技に敬服したという奥田氏。建具の技は家具にも生きる。

作業場の写真
作業場の様子

作業の様子
皮が付いた状態の木材を平らにして厚みや長さを決め、カットして部材にする。写真はその木取り作業。強度を出すために、どこをどう使うか慎重に行う。

作業場の様子2
溝を作るための刃もアーティスティックに並ぶ。

作業場の様子3
整理された道具類。子どもがなぞった形が道具の置き場を指し示す。

 

woodworks 五坐
奥田 芳樹さん


  • 1995年
    神戸新聞社退職後、岐阜県立高山技能専門校入校
  • 1996年~
    同校卒業後、建具作りを学び、さらに高山の家具会社に就職
  • 2002年
    工房「woodworks五坐」を開設。
    各地で個展を開催。
  • 2004年
    牟礼町大町に工房を移転

奥田 芳樹さん

 

woodworks五坐
香川県高松市牟礼町大町473-4
TEL:087-845-3481

Point!

このページに関するお問い合わせ

Kagawa トピックス

新着トピックス