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小豆島の小江から170m程の距離を、3分ほどで渡ります。
「船着場には時刻表を貼っていますが、桟橋で、渡りたそうにしている姿を見かけたら、対岸に船を置いていても、迎えにいきます。気付いたときに迎えに行くほうが、便利ええやろ?」
この島には、病院や日用品を扱う店などはないため、お年寄りや買い物に出かける主婦、釣り客らが一人またひとりと、乗り場にやって来ます。
ちなみに、12時から13時まではお休みされていますので、ご注意を。
船頭
島本 博幸さん
「以前は、橋を渡すという話もあったんです。もし実現していたら、車で移動が出できて、便利になっていた。でも島民みんなで話し合って、やめることにしました。島は平和や。それを守りたい。
島民は、1人1隻以上船を所有しているので、日常移動の不便は感じていません。島に移り住むと、まず最初に覚えるのが船の操縦。それに、多くの住民が対岸の小豆島側に自家用車を置いているので、そこからスーパーや病院に通っていますよ。」
島民の、約6~7割が漁師。毎日13時頃に出港して、魚を採り、岡山や高松の市場に卸し、深夜0時頃(遅くまでされている方は真夜中の2時頃まで)に沖ノ島に帰ってくるそうです。
漁師の平均年齢は60歳くらい。底引き網漁が多く、ゲタ(舌平目)~さわら~えび~マナガツオと、1年を通して漁をしています。
現役漁師さんが多いのですが、跡継ぎが少ないという後継者問題は、離島共通の悩みの種でもあります。
“ゲタ”とは、舌平目(したびらめ)のこと。沖之島ではそう呼んでいます。
ゲタは、獲った後、港でうろこと内臓を取り、棒にさして干します。冷たい潮風と真冬の太陽を、家の軒先や港で身いっぱいに浴び、天気のいい日は1~2日で出来上がりです。
冬に干されているものとしては、近くでは小豆島のそうめんも有名ですが、沖之島では“ゲタ”。まさに冬の風物詩です。
火であぶって食べます。形はぺたんこですが、味はとっても濃厚なので、何もかけなくても十分美味しくいただけます。
“イギス”は、瀬戸内海沿岸に古くから伝わるイギスという海藻を使った料理で、現在でも県内のごく一部の漁村で伝承されています。
知ってはいるけど、作り方は知らないという人が今は多くなりました。
テングサを使うトコロテンに似ていますが、海藻を全部煮溶かすところが異なります。根菜やお揚げ、しいたけなどを一緒に炊くので、入れている具材としてはかやくご飯のよう。また、具を入れず作り、酢味噌を絡めて食べても美味しいそうです。
港から徒歩10分ほどのところにある数軒の集落。そこに、“イギス作りの達人”がいるという情報を得て、訪ねてみました。
「海藻のイギスの採取に適した時期は、暑さの一番厳しい7~8月。
元々えんじ色のイギスは、真夏の炎天下で乾燥と水洗いを繰り返し、余分なものを取り除いていくとクリーム色になっていきます。この地道な作業が大変!
テングサに比べ手間がかかりますが、大事な家族やお客様へのおもてなしの一品です。
各家庭の味があるそうですが、最近では作る人が減り、伝えられている味は秘伝のレシピとなっています。私も、知り合いに伝授してもらいました。この味を残していきたいと思っています。」
集落は2つ、渡し船の着くあたりにある大きな集落と、そこから徒歩10分ほどのところにある数軒だけの集落。どちらの集落の皆さんも気さくな方ばかりで、突然の訪問にもかかわらず、とってもお話が盛り上がりました。
数軒だけの集落は南東を向いています。さえぎるものがない畑には、どこよりも早く朝日が当たり、対岸の小豆島から見ると輝いて見えるんだそうです。
迎え入れてくださる温かい心が感じられる島、という印象を受けました。
小豆島の小江地区四海漁港近くの県道から船乗り場を探すと、目に入ってくるのはこの看板です。その先の細い路地を進むと、船着場が見えてきます。時刻表(1時間に2往復:土庄町建設課0879-62-7006)が貼ってありますが、もし船がなければ、少し待ってみてください。お昼休みでなければ、親切な船頭さんがお迎えに来てくださいます。
アクセス:小豆島郡土庄町小江 県道253号沿い
以前は、若宮神社の隣に立てられていましたが、防災の面などを考慮し、少し高台に移されました。建築したばかりで、とてもきれいな建物です。ここで、島の様々な催し物が行われます。
アクセス:渡し船の船着場より徒歩約5分
沖之島の氏神様です。7月23日に夏祭りが行われます。お祭りのメインは、対岸の小豆島小江地区ですが、合同で盛り上がります。
アクセス:渡し船の船着場より徒歩約1分
見ることができるかどうかはヒトデ次第。港に重ならないように並べられているヒトデ。何に使うのかとお聞きすると、乾燥させて畑の肥料にするのだそうです。
場所:沖之島の堤防の上
小豆島の北西に位置し、小豆島の小江地区・四海漁港から渡し船で3分の島。
江戸時代に漁業者が移り住み、現在も漁業が盛んな島です。
1657年(明暦3年)に、当時の小海村の小江村と、渕崎村の伊喜末村との間で、島の領有権を巡って論争が起きました。最終的に小江村の所属ということで裁定が下り、現在に至っています。
◆2014年(平成26年)4月1日現在の運賃です◆
※時刻表・運賃について、詳しくは各ホームページにてご確認ください。
島内は、徒歩のみです。歩きやすい靴でのご来島をオススメします。
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