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島の魅力・ナンバーワンは、やっぱり新鮮なお魚料理。瀬戸内の美味しいお魚を目当てに、釣りにくる人、食べにくる人など様々ですが、島には3軒の民宿があり、それぞれで自慢の料理を食べることができます。
岩黒島は、瀬戸内特有の“山”の島と比べて、もともと起伏の少ない島です。主産業が漁業のため漁師さんが多く、港にはたくさんの船が停泊しています。
水揚げされたばかりの新鮮な魚介コースが味わえます。瀬戸内のタイを焼いた後、熱した閃緑岩の上にのせると、ジューという音とともにいい香りがします。この贅沢な「タイの石焼」が、こちらの民宿の名物。
住所:坂出市岩黒79-2 電話番号:0877-43-0425
営業時間(昼食):11時30分~15時
※1週間前までに要予約、時間相談可
メバル、カワハギ、タナゴにヒラメ…、旬の瀬戸内の魚がお頭付で出てくる満足ランチが楽しめます。島で郵便配達もやっているとっても元気な女将さんとも、島の話で盛り上がれます。
住所:坂出市岩黒178-3 電話番号:0877-43-0152(0877-43-0323)
営業時間(昼食):11時30分~15時
※1週間前までに要予約、時間相談可
現役漁師の民宿ランチには、朝獲れた魚が登場することも。瀬戸大橋と海を眺めながら食事できる最高のロケーション。宿泊の方限定で入れるお風呂は、名前の通りみはらし抜群!
住所:坂出市岩黒215-1 電話番号:0877-43-0356
営業時間(昼食):11時30分~14時
※3日前までに要予約、時間相談可。
穏やかな口調で、とてもやさしい眼差し。岩黒島のことはもちろん、塩飽(しわく)諸島にとても情熱をお持ちの島本さん。
「岩黒島の語源は諸説あります。文献に記される前は、“イクロ”という地名で呼ばれていたことから“岩黒”になった、という説。平安の末期に理源(りげん)大師が、島に住み着く大蛇を退治できたら土の色が5色に変わると言われ、その中の黒色が多かったので、という説。島の北側には黒い岩がゴロゴロとしているから、という説。などがありますが、他にも様々な説があります。」
岩黒小・中学校の教諭だった島本さん。
「1968年(昭和43年)に岩黒中学校に赴任された田中俊彦先生が中心となり、生徒と3年がかりで発表にこぎ着けた“クマゼミの研究”で、1970年(昭和45年)日本学生科学賞の中学校部門で第一位に輝きました。
その田中先生が転任後、私が記録をまとめて“クマゼミの島”という本を出しました。(残念ながら、現在は絶版となっています)
しかし、岩黒島を橋脚にする瀬戸大橋工事が始まったのは1981年秋のこと。島の西半分は、架橋用地となり、桜の木が多く、セミのすみかだった初田神社は、東へ数十メートル移転することになりました。
今は、激減してしまったクマゼミの鳴き声も、徐々に元気を取り戻しつつありますが、人工建造物と自然の、共存の難しさという大きな課題を、この島に残しました。
もともとクマゼミは南方系のセミなので、北日本や山陰地方以北の日本海側や内陸部では冬の寒さのため棲息数が少なく、西日本から東海地方の太平洋側に多数棲息しています。ただ、最近の調査で、南関東や北陸で観測されるようになってきました。一説では、地球温暖化やヒートアイランド現象の影響か、樹木の移植が原因といわれています。」
ループ状になった道路を下から見上げると、建築好きも写真好きも、そのどちらでなくても、思わずいろんな角度から写真を撮りたくなる衝動に駆られてしまうと思います。
漁師さんの多い、活気ある集落もとっても魅力的ですが、対照的に、このコンクリート製建造物の迫力は、ぜひ近くに行って、見て、感じていただきたい!そんな所です。
写真撮影が終わったら、カメラ片手に集落内を歩き、住民の方との会話も楽しんでみてくださいね。
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島の氏神様。春は桜並木がきれいです。江戸時代、佐柳島から岩黒島への移住を勧めた初田助十郎を祭っています。瀬戸大橋建設の際、東へ数十メートル移設されました。
アクセス:エレベーター降り口より徒歩約5分
毎年10月の第2日曜日に催されます。
おみこしが初田神社よりお下がりになり、お旅所・港の竜神様・大天宮神社・岩黒小中学校へと練り歩きます。昔ながらの祭りで地域が一体となり、おみこしを担いだまま海に入ったり、元気あまった大人や子どもが海に放り込まれるなど、とてもにぎやかに盛り上がります。
漁の安全を祈り祭っている神社です。島の土でつくられた赤い陶器の狛犬がいて、足にヒモを結びお祈りすると、なくし物や家出人が見つかるという言い伝えがあります。
アクセス:エレベーター降り口より東へ徒歩約7分
島開発当初、開墾中に出てきた十一面観音坐像(鎌倉中期作)をお祀りしています。島の人々の病気を治してくれるという観音様。一年に一度しかご開帳されないこの秘仏のご本尊は、坂出市の有形文化財に認定されています。
アクセス:エレベーター降り口より東へ徒歩約2分
島の北側には、黒い岩と黒い砂浜の“黒浜”があります。白い砂浜は、全国様々な場所で観光地や海水浴場になっていますが、ここの砂は本当に黒く、砂鉄が多く含まれているそうです。
アクセス:エレベーター降り口より島の北側へ徒歩約5分
浜への降り口は少し分かりづらいですが、岩黒小中学校の近くです。
江戸後期、新田開発に力を注いだ時代に、島の開拓が進められるようになりました。
その当時、岩黒島は無人島で、1797年(寛政9年)に佐柳島からの移住者により開拓され、現在に至ります。そのため、佐柳島の郷土料理“茶粥”が岩黒島の文化になっています。
また、島の北東で取れる粘土を使い、江戸末期より瓦産業が発達しました。主に岡山方面に出荷し、昭和初期まで続きました。鬼瓦等、細工された瓦も多く見られ、大天狗神社の脇には、瓦で作られた祠を見ることができます。
今の主産業は、小型底びき網漁と刺網漁業を中心とした、沿岸漁業となっています。
1988年(昭和63年)4月、瀬戸大橋の開通によって、一方通行ながら緊急車両などが進入できるようになり、バス停も設けられ、陸上交通が確保されました。(島民以外の一般車両は進入不可です)
また、前方には景観を考慮した雄大なトラス斜張橋・連続トラス橋がそびえています。
◆2021年(令和3年)4月1日現在の運賃です◆
※時刻表・運賃について、詳しくは各ホームページにてご確認ください。
島内は、住民しか自家用車で乗り入れることができませんので、全て徒歩移動です。(1周しても、約30分)歩きやすい靴での来島をオススメします。
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