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三好さんは、伊吹漁業協同組合の参事をされています。
「イリコの原料となるカタクチイワシの最盛期は6月~9月で、その間、島は特に活気にあふれています。カタクチイワシを捕るバッチ網漁は、網を引く本船2隻と運搬船、探知船の4隻で行われます。網の全長は約300メートルで、かなり大型のものを使います。島を取り巻くように加工場があり、捕れたイワシは高速の運搬船で加工場へと送られ、すぐに加工されます。このように漁獲から加工まで一貫して生産することが、上質のいりことなる決め手です。
伊吹島では、イリコを“伊吹いりこ”ブランドとして全国に出荷し、大変好評を得ています。皆さんも本場のイリコをぜひ食べてみてください。」
伊吹漁業協同組合 参事
三好 光一さん
※詳しくはこちらまで
伊吹漁業協同組合(外部サイトへリンク)
「20~30年前から比べると、漁師の数が段々と減ってきています。イリコの生産はコスト(油代など)がかかり過ぎるためです。イリコは、最盛期の6月~9月を過ぎた12月頃まで捕れますが、良質なイリコにこだわっているので、あえて漁を9月までにしています。漁をしていると定年もなく自由で、大漁だった時の気分は最高です!
さぬきうどんのダシにも濃厚で旨味がいっぱいの“イリコだし”がかかせません。さぬきうどんの文化は、伊吹いりこあってこそです。」
瀬戸内国際芸術祭2013の芸術作品で、光や雨といった微小な事象に反応する特殊なトイレです。伊吹島の伝統行事や夏至の日、冬至の日の午前9時の太陽方位に合わせて、建築の中を一筋の光が通り抜ける仕組みになっています。また、伊吹島から世界の6都市の方向も光の線で示しています。
※アクセス:真浦港から徒歩約10分
※写真:作者である石井大五さん提供
伊吹島の伝統的な暮らしでは、トイレのある水屋が母屋から離れて別棟として置かれています。トイレは、家にとって、周縁(中心から離れた場所)の空間となります。その水屋と母屋との関係は、伊吹島と本土との関係に似ています。周縁だったトイレを島の中心に変え、周縁となった伊吹島を力づけようとしました。母屋からはじかれたトイレが、一つに寄り添い、家の形となりました。
昔、幼稚園だった建物を利用し、現在は資料館としてリニューアルしています。長い年月をかけて収集された貴重な資料や、島の人たちが寄贈した漁具や生活道具などを展示している手作りの資料館です。人口・世帯数やイリコ漁の水産データなどから、伊吹島の歴史を知ることができます。
アクセス:真浦港から徒歩約20分
私自身、伊吹島にそんなイメージはなかったのですが、島には猫が多く暮らしています。島からイリコのいい匂いがするからなのか、細い路地を曲がる度に猫が寝そべって休憩していました!
猫を愛する私にとって、この島は癒しの宝庫です。ゆったりと流れる島時間の中、あなたもその可愛さに癒されてください!
出部屋(でえべや)とは、出産後の約1ヶ月の間、母子だけで共同生活をするための場所でした。北浦港を眼下に眺める静かな場所にあり、産婦は普段の厳しい労働から解放されていました。1983年(昭和58年)に解体され、現在は記念碑が建っています。
アクセス:真浦港から徒歩約30分
伊吹島は日本で唯一、平安時代の京都のアクセントを残す貴重な島で、言語学者の金田一晴彦先生も訪れました。この際に読まれた歌が、2004年(平成16年)に伊吹町自治会と伊吹島を愛する会によって歌碑として建立されています。
アクセス:真浦港から徒歩約10分
伊吹島では、昔から「お神楽」が行なわれています。かがり火を焚き夜空の下で舞われます。旧暦6月1日に昼は八幡神社前、夜は荒神社前で奉納され、「猩々(しょうじょう)の舞」など、ほかではみられない貴重な舞があります。
アクセス:真浦港から徒歩約10分
観音寺港(観音寺市)から西約10kmの燧灘(ひうちなだ)のほぼ中央に位置する島。1890年(明治23年)の町村制実施により観音寺町に属しましたが、1949年(昭和24年)に分離して伊吹村となりました。その後、1956年(昭和31年)に再び観音寺市と合併し、現在に至っています。
その昔、「息吹島」と呼ばれていたという説と、「異木島」と呼ばれていたという説があります。
◆2014年(平成26年)4月1日現在の運賃です◆
※時刻表・運賃について、詳しくは各ホームページにてご確認ください。
観音寺伊吹丸事務所 ☎ 0875-25-4558
観音寺市(外部サイトへリンク)
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